書物蔵

古本オモシロガリズム

キミも知ってるだろ、ボクの方法を。ワトソン君。−−『シャーロック・ホームズの記号論』

アブダクション(仮定推論、仮説検証法;abduction)とはぶっちゃけ、「ヤマ勘」のことだと訳者はいふ。
その本ではアブダクションの理論を唱えた米国哲学者パースを、にゃんとシャーロック・ホームズに対比させ、パースのアブダクション論を説明している。パースが盗まれた自分の時計を、探偵ばりの推理で取り戻したエピソードは、ホームズの推理術そのままであるというのだ。そして、そこでパースが展開した思考法の説明を、作中人物たるホームズに代弁させている。

大抵の人間は、出来事のつながりを聞けば、その結果がどうなるか予測する力を持っている。かれらは頭の中で出来事をつなぎ合わせ、先はああなる、こうなると考えていくわけだ。しかしね、結果を聞けば、その結果にいたるにはどういう段階が必要か、自分の意識の中かから考えだせる人間も、決していないわけじゃない。逆向きの推理とか、分析的な推理とか言うのは、この力をさしているわけでね」(『緋色の研究』)
T.A.シービオク, J.ユミカー=シービオク 著 ; 富山太佳夫 訳.  シャーロック・ホームズ記号論 :.  岩波書店, 1994.12. p.68
https://www.amazon.co.jp/シャーロック・ホームズの記号論―C-S-パースとホームズの比較研究-同時代ライブラリー-209-T-シービオク/dp/4002602095/

この、「逆向きの推理」がアブダクション(ヤマ勘)である。

参照作業の奥義→アブダクション

で、この山カン、じゃなかったアブダクションこそ、参照作業において必須の考え方であることは、いままではっきり言ったひとはをるまい(いたら教へてちょ)。
参照作業の初心者は、質問・疑問を単純に分解(まあ初歩的な主題分析)したあと、その質問に対応すると思われるツールを機械的にわりあて、質問文中のキーワードを引いて、答えをだせばよいと考える。
しかし、じつはそれって誰でもできること。すくなくとも大学や院で出すような資格が必要なほどのスキルぢゃあ、ないわいな。
じつは参照作業ができるようになっている人は、そのような枠組みで考えることは少ない。逆に考えている。
そう、アブダクションを行っているのだ(とはわちきの説といふより文献も含めてほぼ丸々Mさんの説)。
たとへばサ
織田信長が死んだ年月日は?→(歴史)人名辞典やら日本史年表やら
吉田茂が生まれた年月日は?→ 〃 とか政治関係の辞典やらなにやら
じゃあ、書物蔵の生まれた年月日は?
で、フツーの初心者は、

書物ぐら→人名→人名辞典→ありましぇーん!(+o+)→見当たりませんでしたっ!キリッ

で、これが初心者の「正しい」答え。そんなの、載ってるわけないよ(・∀・`;)
参照作業の経験者は「逆に」考える(`・ω・´)
さきに書物蔵のデータが載っていそうな媒体を考える。もちろんその前に、書物蔵が何者であるか(潜在的に、も含む)を十分に分析する。古人か今人か、書き手か否か、趣味人か実務者か、どのような事件に関係したか、友人は誰か、本人や友人のべルーフは? などなど、じっくりじくじく考える。んで、分析した側面ごとに現状の手がかり(たとへば人名)から検索可能なツールがないか検討し、しかる後におもむろに調べ始める。
つまり答えがのっていそうなものを先に想定して、それを検索する。
お題が与へられたとて、そこから純粋に演繹的に答えがでるという図式で参照作業を考えるのは、基本的に間違いだとさへいへやう。
ただこの単純演繹に徹するとすぐに答えが出る。「見当たりませんでしたっ!キリッ」という答えが。そしてその答えには何やらたくさん「見たもの」のリストがついていたりする。けど、そりゃあ「見当たらない」のも当たりまへ。

その結果にいたるにはどういう段階が必要か、自分の意識の中かから考えだせる人間も、決していないわけじゃない

とホームズはワトソンに言ふ。
参照作業者といふのはすべからく探偵たることを要せられていて、

すべての出版物の形式を事前に想定し、それらのどれに質問の答へが載っていそうか、さきまはりして仮定し、では、そのやうなタイプの出版物をどのやうに「合理的」に引けるか

を考えだすのぢゃ。
答へを出せない時、すぐ飛びつく言葉に、「がふりてき」なるものがあるが、それは、忍者部隊月光のピストルみたいなもんなんで、すぐ使っちゃいかん。「がふり」的というのは、さきにキチンと主題分析し、自分のメディア資源の全体を理解した後ではじめて出てこさせてよい概念なのぢゃ。

たまたまの偶然

ところで直接の関係はないが、じつはこの『シャーロック・ホームズ記号論』という本、さる図書館本に登場している(これもわちきの発見でない)。
それはわちきが誘引分類につきてさんざ言及した丸山昭二郎, 丸山泰通 編『図書分類の記号変換』(丸善, 1984.10. 222p)。BLとLCとNDLで分類がちがくなっとるんだそーな。

 NDC 933(英文学>フィクション)
 LCC B945.P44(米国哲学)
 DDC 191(近代西洋哲学>米国とカナダ)

このp.204に、担当作業者による主題標目のブレの例として挙げられている。「観点・バイアス・文化」の違いによる分類の違いという項目に類別されとるが、わちきに言わせれば、単に作業者がまちがっただけと思ふ。というのも、複数の主題で、両者に比較の関係がなりたてば、比較される側に分類すると一般分類規定にあるからネ(NDC本表p.xxxviの4)比較対照)
パースとホームズ、この本はやっぱりパースのアブダクションを論じるためにホームズを出しにしとる本だから、パースに、つまり米国哲学に分類するのが正しい。

2021.8.29

タイトルにワトソンを追記、副題を追記、仮説検証法を追記