書物蔵

古本オモシロガリズム

Classification by attractionにつき、ご批判いくつか

森先生よりメールかつ架電。
趣旨は、

  1. ) 誘引分類につき、日本人で「誤分類」と意訳している人がいるがいかがか?
  2. ) 米国にても望ましいことでないようにいわれているやに見えるが、一方で書物蔵は慣例ないし準則と称しむしろ薦めているようにみえた。その齟齬の由来は? また米国の例をひいたときには書物蔵が初期に、誘引分類=慣例・準則説のようにみえたのが、誘引分類=不可避、的に後退しているように見える。

おやや、これはたいへん手厳しい。

1)吉田暁史(大手前大学)先生のレジュメ「資料組織概説II」から

誘引分類を誤分類と意訳している例がこれ。
 http://yosida.mods.jp/bunrui/asoshib.pdf p.73

○誘因による誤分類(classification by attraction)
 例えば「カリフォルニア移民日本人の活躍」
 相関索引で、「移民(来住民)」は334.4(経済学→人口・土地・資源→移民」)である。
 ところが、この場合の移民問題はどう考えても経済学ではない。社会学ないし伝記である。
 このように、名辞に引きずられて誤った主題分野に分類することを誘因による誤分類という。特に該当する主題分野(社会学や伝記)で、その概念(移民)が掲載されていない場合に、この誤りを犯しやすい。
 移民
  農業移民 611.91
  来住民  334.4
  流出民  334.5

うん(*^_^*)
たしかに「誤分類」と訳しておられるね。てか、1984年の本以来、2回目ではあるまいか日本語で出てくるのは。
でもサ。
ひとついふておきたいのは、じゃあ上記の例でとこに置けばいいの? ということが書いてない。

観点を優先して分類をつけてみると。。。

上記のタイトルそのままの本はなかったけど、たとえば近似するこんな本がある。

似た主題のこの本でちと考えてみよう。この本の要約主題(本1冊レベルでの主題)は、たとえば件名で考えてみると、わりと簡単に次のようになろうかと思う(NDLSH風に)。

移民・植民 (日本) -- カリフォルニア州 -- 歴史 -- 明治以降

まあ、ほかにも主標目が日本人(アメリカ合衆国在留)とかなんとか、なろうけれども。。。(それに時代区分はまだつけてないのでは? つけるべし)
ただNDC分類表を見ると、移民という主題をおけそうな項目があまりない。それこそ索引を見ると、上記レジュメのとおり、

 移民
  農業移民 611.91
  来住民  334.4
  流出民  334.5

3つしか候補が挙がってない。
で、実務者としては、334.4に移住先の地理区分でもして、334.4/5393といった分類にしちゃうわけ。「どう考えても経済学ではない」のは当然、わかっている*1
どうみても経済論ではない(もちろん社会科学ですらない)この本はぱっと見、歴史の本であるわけで。ジュンク堂のHPで見つけたC-CODEによれば「0022」つまり外国歴史だと出版社はいふてをる。
ぢゃあ、歴史におくべとて、どこに置くか。253.93のカリフォルニア史に分類するのがいいの? でもアマゾンなんかじゃあ日本史だぐらいのアマゾン分類がついとるぞ。んじゃ210.6日本近代史でもつけるか? たしかにこの本、日本人が日本語で日本人のために書いたもののようで、こっちのほうが日本の図書館にはよさそうだ。でも、どっちにしたって、分類には移民のイの字*2もあらわれんことになるけれど。。。それにアマゾン分類ぢゃあ、「ノンフィクション」だぐらいのことがでてくるぞ。さうかあ、この本はルポルタージュ916かもしらんなぁ。
このやうに「正しい」観点を抽出し、それと「適合する」分類表のディシプリン(知識分野)に当てはめようとしはじめると、むしろ、たくさんですぎて決まらなくなっていくうえに、それらのどれかに分類しても、「移民」という主題は表現できるとはまったく限らない。というか、NDCの場合、この本はまったく表現できないほうにばかり行ってしまふね。
NDCのバヤイ、このような状況に陥った実務者をきちんと最後まで面倒見る説明がない。教科書の類も、残念ながら難しい事例はそもそも出てこない。説明しやすいものだけ説明してある。
もちろんDDC17みたいに、形式区分でない主題を表現する補助表を用意しまくり、なおかつ記号合成なんでも可ぐらいに指示をだせば、UDCなみにたとえば

210.603345025393 日本近代史におけるカリフォーニャ移民
2/1/0.6/03345/02/5393 歴史/日本/近代/経済論の移民/歴史的・地理的取扱い/カリフォルニア*3  

といった記号を合成できようけれど、そんな素敵(面倒でもある)な指示は全然ない*4
1冊4分で主題標目をつけきらねば家に帰れないのが実務者なわけで、

あ、この本、NDCの指示だけぢゃ論理的に分類付与できなーい。
だから10年後に次の版の委員会がきちんと指示をだすまでここに置いとこーっと。

ということはできない。今日、家に帰れない。
んで、本の主題語にひっぱられる分類のほうに入れてしまうのである。この現象を一概に誤りと言えないようにわちきには思う。
止めるのぢゃ、とDDC17版で言われたものが、米国ですら、いまだに項目として必ずしも禁止事項としてではなく残ってしまっているところに注目したいのだわさ。
だから、たしかにDDC17みたいに補助表用意して記号合成の規則もつくりゃあ、ある程度、誘引分類を抑えられるかもしらんけど、それも、ある程度までで、全部抑えることはできないし、それに、原語で単に「classification by attraction」としているものを「誘引による誤分類」としてしまうのは、ちとフライングだと思う。

畏れ多くも賢くも!!!(`・ω・´)
 わが*5ニッポン・デシマル・クラシフィケーション*6は!!!
1970年代に分類研究の影響等で現代化していったDDCにくらべ、その管理体制の立ち遅れ。。。ぢゃなかった独自性によって周回遅れで。。。ぢゃなかた独自に進化してをる!!!
ゆえに米国においてDDC14の世界でさかんに行われ、DDC17以降で表レベルで抑止されたといって、それは持てる国、米国の話!
持たざる国のわが国はまともな分類管理体制も持ってをらん!。。。ぢゃなかた独自の道があるっ!!!
我が国の先人が米人に習いし伝統を一概に誤りを決めつけるとは何事ゾ!!!( ・`ω・´)b

ん?(・ω・。) まじなのかおふざけか、わからんってか(^-^;)

2)について

と、長くなってきたし明日もバイトがあるのですまんが森氏のつっこみと答えを了解を得てここに掲げる。
項目は先方のつっこみ。

『書物蔵』二月九日附には『水からの伝言』を435.44に分類する理由の一つに「主題アクセス上の合理性」を擧げてゐましたが、これは利用者側にとっての結果的な合理性です。他方、「誘引による分類」は圖書館側の分類擔當者なりの合理性であり、分類表を改新することは容易でないので既成の表内でやりくりするといふ限りでの理論的といふよりは實踐的な合理性でせう。

たとえば水伝を435.44に置かないとして、ではどこに置けばよいのでせう。435.049無機化学の雑、430.49化学の雑、404.9科学の雑などもあります。でも、435.049、430.49、404.9どれでも水でのアクセスはできません。
NDCの索引で水を引くと、上記の無機化学のほかに、衛生学、河川工学、宗教学、生物学、生態学、茶道、動物学、民法学、陸水学などの項目が挙がっています。そのどれかだったら、「水」からの主題アクセスは形式的には保障されていることにはなりましょう。でも、そのうちどれかでなければ、分類では水からアクセスできないことになります。
それこそ水伝は擬似科学であり科学を偽装しているのですから、その妥当性につき判断できない(しえない)司書にとって、水伝はますます水の科学の本435.44でしかないというのは、こりゃ付与側の都合か。。。もちろん、本当は件名をつけ、一方でOPACで引ければ404.9でも、049でもいいわけですが、今回、件名は別の話題にしておいたほうがいいでしょう。

分類する側と分類を利用する側との便益(合理性)が合致すれば好適(幸福happy)で、抑もそれが望まれてゐるのでせうが、大方の利用者は(そして圖書館學專攻者でさへ一部は)分類をどう附與するかについてはよく知らないから、その間隙に誤解曲解異論紛糾の不幸(不仕合はせ unhappiness)が生じやすいわけかと見受けます。

司書課程用の教科書や、NDCの序文にはつけやすいもの、答えが出やすいものばかりがあげられており、処置に困るもの、分類表と論理的な矛盾が出るものなどの、本当に困るような事例が、無意識的にか回避されているんですよねー。じつは実際に来た本すべてをいやもおうもなく、「苦手ぢゃ」とか「これボクの専門ぢゃなーい(からやらない)」といった自称専門家とちがって、すべて分類をつけていくということをやったことがないのではないか、と思ってしまいます。
サう云ふ意味でハ、実際の事例から、困難事例の考え方を考えてほしいものです。

また、誘引による分類は排除しようにも不可避であるにせよ、では、その功過をそれぞれ考察した上で、過ちを抑制する現實的な方策も練られねばなりますまい。

ほんとうに「観点分類」とやらを付与実績においても貫徹したいのであれば、DDC17版のように、ディシプリンの下に事項的な区分肢を(補助表を用意して)新設できるようにすればある程度、回避できるでしょう。
で、実際、DDC17版はそれをした。
NDCはなんもかんがえずそのままでしかない(今でも)。
で、それをしたDDC17版以降のDDCの分類実績はどうなってをるのか、ということでせう。

いままでの所、『書物蔵』では誘引分類の弊害については觸れずに結果としての利ばかりを述べてゐるので、いささか不公正でもあり、その所爲で理路が判然としなくなってゐるかに見えます。

DDCの世界でいちど、これはやめませう、となって、でもやっぱりやめきれない、といういきさつは、『図書分類の記号変換』にあるほどの、ほとんど言及のみといっていいほどしか知らんでしたので、今回、ちびっとネットで調べて、もっと大きな問題として出てきてたと知った次第です(しかし、当時のNDC委員たちはいったい全体、なにをやってたのだろう。。。この話題を知らなかったのかしらん(゜〜゜) )不公正といはれるのは心外だなぁ(^-^;) ってか知っててわざとおしへないといった立派な力量は、わちきにはありませんよ(σ^〜^)
ちなみに『図書分類の』の連中は外国語が読めるということで洋書整理の連中だったらしく、和書整理とは人脈的にあまり交流がなかったような気がするなぁ。。。
しかし、いまDDCの件を知ったあとでも、知る前のように、誘引分類をしたほうがいいと思うなぁ。ってか、DDC17版ばりにいろいろ工夫をしたあとで、つまり一見、観点分類できそうなふりをしたあとで、でもやっぱり、一般分類表では観点分類ぢゃなくて全体の運用は誘引分類ふうになっちゃうんだよ、と正直に白状しといたほうが、正しがりがりすとの発生も抑止できるし、付与者、利用者ともに誤解がなくなると思う。

むしろ、まづ前提として誘引分類が理論的には不可として批判され、現在なほ誤りとさへされてゐる事實を認め、

うん、これなんすが、いやむしろ米国できちんと「誤りだから禁止」と明確に定義してくれりゃあいいんだけど、どうもそうでないように見えちゃうところが、困ったところなのです(´・ω・`)
吉田先生は先回りして「誤分類」と意訳しちゃってますが、はたしてそれでよいのかが問題だなぁと思う次第(。・_・。)ノ
わちきとて、これはダメなのだとDDC17版でいちど禁止されたのは知ってたわけなんだけど、ぢゃあなんでまだ明確に禁止とされとらんのでせうか、とわちき自身疑問を持ったときに、「ああ、ちょっと考えれば、これの貫徹は無理だわさ」と思いついたわけで。
かつて米国で誤りとされた事実はあり、それにあわせてDDCがいろいろ改良されたらしいけれど、それを貫徹することが結果としてできなかったみたい、という認識です。
だから今、米国で誤りとされているのかどうか、ちと自信がない(^-^;)

ついでにmachida77その他の『水伝』分類變更論者の糾謬彈劾の態度が(正誤を正邪にすりかへながら)そこに相通ずると一括りにした上で、さういふ既成の正統的な(?)通説を引っ繰り返してしまふ異議を立てる方向で論じてゆくのはいかが。

それはオモシロな所業でありませうが、米国でですら、中途半端な状況(好ましくはないし、発生しないよう処置はしたが、それでも発生してしまい、発生してしまったものはしょうがない外に現状では手もないし)にあるものを、日本から米国の関連文書の片言隻句をとらまえながら解釈し、むこうのOPACで事例を検索し論理を構築していくというのは、これはかなりに難儀なことでございます。
むかーし、米国館界ですらまともに論理化されてなかったある実務対応を、この日本から文献の片りんから当時まだ普及まえだった一般理論から再構築して云々したことがありましたが、あれは、起きてる時間のほとんどを研究とやらにつかえた時代のものでして、現状では古書展に通い、古本をめでる時間が必要なのでむりポ(´・ω・`)

そこでは、誘引分類の單に實踐上の都合のみならず理論上の意義をも説くくらゐの勢ひで、突き進んで戴きたい。それだけ叛逆兒ぶりでやれば、書物奉行さんは傳統・慣例を踏襲してゐるんですねなんて岡部氏のやうな誤認は防げるでせう。まあ、本來の保守正統(乃至は消極的自由論)が異端叛逆になってしまふ現在の状況が顛倒してゐるのかもしれませんけど。

まあ、ね(^-^;)
でも今は古本および古本屋史を追っかけたひ気分なのです(。・_・。)ノ

*1:それに334は経済学331の下位でなないからそもそも経済「学」の項目ではない。330の経済(論)の下位、人口論で、経済「学」ではない。そーゆー意味で、NDCはもともときちんとした学の連合でなく、かなりテキトーな○○論の連合表になっている。

*2:もちろん分類表に戻っての話。分類記号は数字だけだから(σ^〜^)σ

*3:もちろん、NDCではかような自在な記号合成はできない。

*4:だいたい、形式区分だって、どれを優先して付与するかすら、NDCの9版の連中は指示でけんかった。内形式、外形式の区分けすらなくしちまって、NDC9版委員会はバカかと(-"-;) 

*5:こりゃ日本主義的な図書館学だわな

*6:Nipponのくせにdecimal classificationなどと英語なのはけしからん!と、きちんと麓鶴雄が指摘ずみ。彼はドイツ語を提唱。NDKだったかな? 詳しくは拙稿「屠れ米英われらの敵だ!分捕れLCわがものだ!」を参照