書物蔵

古本オモシロガリズム

カレンダーの近代史が不明である(=゚ω゚=)

いやさ暦システムの歴史はきちんと文献はあるのだけれど、出版物としての暦、カレンダーについての日本近代史が不明である。
2年ほどまへから文献をさがしてきたのだけれど、ろくにない。
かと思ったら、きのふ、にゃんと『カレンダーの研究』なる文献が存在するとわかった。
で、どうやらこの文献は「全国カレンダー展」

全国カレンダー展は、1950年(昭和25年)1月に始まり

現在の主催は、(社)日本印刷産業連合会、(株)日本印刷新聞社ということらしい。

ニッポニカでは、カレンダーの項で

 カレンダーが大量に普及するようになったのは、ヨーロッパでは1460年代にグーテンベルクによって印刷暦が発行されてからのことで、日本では1883年(明治16)に、引札(ひきふだ)から多色の広告一枚暦がつくられてからである。そして1903年(明治36)に日めくりカレンダーが出現して以来、カレンダーはその機能性、装飾性、宣伝性の三大要素をもとにさまざまに表現され、情報化社会の知的媒体となっており、年末贈答用のほか大量に使用されている。[清水真輝雄]

とあり、引札と日めくりあたりを近代日本カレンダーの最初に置いているが、その後がわからんのよ。おそらく、引札研究の読み変えと、出版でなく印刷業史の読み込みが必要なのだろうなぁ。。。
じつは上記「カレンダーの研究.1966』中に、小野忠重「カレンダー明治100年」という、そのものズバリのタイトルの記事があったのだが。。。
これが、情報量が少ないんだなぁ。。。(*´д`)ノ
さすがに版画史の専門家だけあって(最近は殺人犯にも擬せられてをるが(σ^〜^)σ ん?(・ω・。)それとこれとは関係ないってか(^-^;) )、小野忠重はコンテンツとメディアをいちおう分けて論じてはいるのだが、江戸期、あるいは江戸期風の暦の話をしすぎる(紙幅ふさぎか)。また人口に膾炙しようとて(?)おふざけ文体なので意味をとりづらい(おまいが言ふなってか)。

いや脱線ですまない。本筋にかえして、加担だ―のかたちを主に絵、装飾性の面を眺めていこう

て文章がもう半分を越してからでてきても。。。(゜〜゜ )
で、小野は、明治17年発明の印刷方式「トコロ版」で明治2、30年代にさかんに刷られた暦、広告依頼主から注文される「注文暦」が「(今の)注文カレンダーの直接の先輩」としている。また、明治後半には「とじ暦」もあったという。どちらの事例かわからん書き方をしているが、「東京日本橋の栄光社の自社広告用カレンダー多色石版刷」が「故山本重次郎氏の蔵品中に」見たという。
日めくりはWW1以降の紙の大規模国産化が背景だろうとも。
あと新聞附録でカレンダーがあったとする。朝日新聞附録カレンダーの図版(島成園画)を掲げている。
工業生産品とはちがうが、恩地孝四郎の「昭和11年の創作木版カレンダー」の図版もある。
まあタイトルはいい記事だが、中味がいまいちな記事ではある(゜〜゜ )
ところでいま日国をみると

カレンダー〔名〕({英}calendar )
暦(こよみ)。特に、一年間の月日、曜日、祝祭日などを、日を追って記載したもの。鑑賞用の絵、写真が添えられていることが多い。
*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉女学者・下「外国製の美くしい暦(カレンダー)」
*嘲る〔1926〕〈平林たい子〉七「小山は、カレンダーを一枚はいだ。三十一日は青紙だった」

とある。
魯庵のはまさしく舶来ものの近代カレンダーのことを言っているし、平林は、日めくりで、土曜日が青色で刷られている(日曜は赤色)であるということを示しているね。