書物蔵

古本オモシロガリズム

雑誌概念成立事始?:書籍ト新聞トノ中間ナル小冊とはナニそ

意外と役に立つ著作権史研究

近代書盗、ぢゃなかた初頭、かの偉大なる福沢諭吉先生が福澤屋諭吉として活動して以来、ますます拡大する版権ないし著作権=ますます正しくなる日本国といふ一律な発展段階史観に一抹の反感があり*1、それゆえか著作権史の本を敬遠してきたんだけれど、意外と役に立つなぁ。。。
古本屋に図書館学本をたたき売るべく本棚を整理してたらこんな本が出てきた。

  • 著作権史話 / 倉田喜弘著. -- 千人社, 1980. -- (歴史選書 ; 11)

著作権史話 (1980年) (歴史選書〈11〉)

著作権史話 (1980年) (歴史選書〈11〉)

何ヶ月か前、森サンに「これ買っといたら(´・ω・)ノ」と高円寺だかで言はれ、すなほなわちきが「はい☆は〜い(´∀` )」とて300円で買ったものであった(σ^〜^)
で、たまたま出てきたので読み出したら結構、オモシロなことが書いてある。ってか、別に著作権の伸長にはぜんぜんキョーミなくて、その周辺のことがらね。
著者は芸能史研究者でその筋でむちゃくちゃたくさん本を出した人なんだけど、この本に関していえば、とにかく明治期の新聞紙を広く読んでる。国会とか明治新聞雑誌文庫で。
で、当時、っておそらく1970年代まではマイクロもよーひろまってをらなんだその利得で! さまざまな新聞をひろく通覧できてたよーなのだ。
現在はなんでもかでもマイクロで、目がつぶれるか命をちぢめるほどでなけりゃあ、おなじように新聞を通覧することなぞ、できないからね。あーあ、うらやますぃ〜
それはともかく、近代出版史ないし近代書誌に役立つことが結構書いてある。

出版条例、新聞紙条例のほかに「小冊刊行条例」を作ってくりー

この本に「雑誌に版権を」(p.16-)とて、明治8年のある建白書についての記事がある。
これは、「設小冊刊行条例之議」(しょうさつ かんこう じょうれい を もうくる の ぎ?)という建白書で、明治の仏教運動家・大内, 青巒(1845-1918)<オオウチ, セイラン>がM8.4.15に文部省へ建議したもの。
彼の出していた『報四叢談』の2號 (明7.9)に、附録「修斉通書」(島地黙雷著)をつけたら、大いに売れた(二万余部ヲ刊行)はいいんだケド、「桃ノ屋某」(岐阜)がそれをそのまま「再刊」しちったという。んで、金も名誉も横取りされてヤル気なくすよ、だからこういった出版物も、「書籍」同様に「板権」を認めちくりー、という建議。
「史話」では『郵便報知新聞』(M8.4.24)に載っているとか。わちきはググ(book)って見つけた『明治建白書集成』第4巻(筑摩書房1988)で、『日新眞事誌』(M8.5.13)に載ったものを読んだが。
で、結局、この建議が通らなかったことは(わちきには)どーでもよくて(σ^〜^)
そんなことよりも重要なのは、この建白書で使われとる言葉・概念なのだ(。・_・。)ノ

書籍ト新聞トノ中間ナル小冊とはナニそ? ペンプレツト?

まずハ、(≧ω≦ )ノ

書籍ト新聞トノ中間ナル小冊、即チ泰西ノ所謂(ペンプレツト)ナル者

と(句読点はわちき)。
また云ふ。

方今盛ニ行ハルヽ明六雑誌、報四叢談、民間雑誌、共存雑誌等ノ小冊、コレ也

ムフー(*´∀`*)
わかるかしら。
ここでは、

○×雑誌、△□雑誌、〆ヽ雑誌=小冊

としたうえで、

小冊=ペンプレツト

としている。

(つ'ヮ'c)<マガセインだよ!

幕末に既に、「マガゼイン」は新聞紙(逐次刊行物)の一種といふことは日本知識人に知られてゐたはずで、三段論法でか、雑誌⇒小冊⇒パンフレット、と単純にしちまっているのハ今から云へばチト可笑しいが、海賊版もどき事件のおかげで、

明治のはじめ、「書籍ト新聞トノ中間ナル小冊」に「○×雑誌」があるよ

という概念が明治はじめに出で来つつあったことがわかるぢゃないスカ(゚∀゚ )アヒャ

間違いっぷりも含めてイイ(≧∇≦)ノ

この、つつあった、というのは、

  1. 「○×雑誌、△□雑誌、〆ヽ雑誌=」とありゃあ、「=雑誌」としてしまえばよいのに、そうしてないこと
  2. 小冊としたがゆえに、=マガジン・ジャーナルでなく、=パンフレットと誤訳しちまっていると、今の観点からは解釈でけること

などから、「つつあった」といえるのだ。

日本で雑誌の起源は明確ではありません。幕末の『西洋雑誌』が雑誌の始まりとされることもありますが、後年、『新聞雑誌』(これは新聞紙)という固有タイトルの冊子があったように、かならずしも明確に分けられていたわけではなく、当時の法制上も、新聞紙と書籍にそれぞれの法律が定められていました。
たとえば明治8年、仏教思想家の大内青巒(せいらん)は、板権問題にからんで、刊行形態としては新聞紙だが内容的には書籍の価値を持つ小冊子に第三の法律を制定すべきだと政府に建議したことがあります。まさしく今の「雑誌」を新聞紙や書籍と異なるカテゴリーとして立法上とらえるように、という要求だったのですが、その大内にしてからが、この小冊子を「雑誌」と呼ばず「ペンプレツト(パンフレットのこと)」や「小冊」と読んでいたように、まだ「雑誌」概念は成立途上にありました。

などと、雑誌の歴史の最初ンとこに書けるカッコウの事例ぢゃないの(〃^∇^)o_彡☆
ちなみに倉田さんは著作権話にもってってちまってるから、「明六雑誌、報四叢談、民間雑誌、共存雑誌」らが「ペンプレツト」と訳されてるネジレはスルーしとるねぇ(σ^〜^)

*1:現行著作権法(の学理解釈の主流派の解釈体系を)を寸分も侵犯せず墨守できているまともな(=まともな研究成果を上げている)大学教員はひとりもいないのではあるまいか。いいかげんな研究で済ませるなら逆に守ることはできるだろうけれど。