書物蔵

古本オモシロガリズム

件名についての議論

森さんが支那目録学からの関連で、ファシット分類やら標準列挙順序、それにカッターの辞書体目録規則*1についていろいろ聞いてくるので、こちらもタジタジとなりながら受け答え。
だって、わちきがきゃたろがーだった時代、まじめに件名標目について話せた相手というのはほとんどおらんかったからのー

メインフレームとダム端末の時代

わちきがキャタロギングに参入したのは1990年代で、それは1980年代の中途半端なIT革命、〈メインフレームとダム端末の時代〉に冊子やカードの目録の体系が解体していった時代のあとのことぢゃった。
特に主題検索についちゃあコンピュータによる機械検索で、それまでのめんどくさくて遅れた件名システムなんかダメでしょ、と思われた時代だったんでねぇ。わちきも1980年代にはそう思ってをったから、ようわかるんよ。
わちきがキャタロギングに参入したのは1990年代で、それは1980年代の中途半端なIT革命、メインフレームとダム端末の時代に冊子やカードの目録の体系が解体していった時代のあとのことぢゃった。
業界の論客には旧目録体系を解体した連中はいたけど、旧体系の本来的良さについて論理的に説明できるような連中はいなかった。

「でも、なんでアメリカでLCSHがなくならないの?(σ・∀・)」といはれ…

でもその時代をすぎてもいまだにLCSHなんちゅー、オクレタ、つまらなくて、めんどくさいシステムがあるし、いまだにそれを超える実用品がない。その実態から逆に考えたら、ということを1990年代にある人に示唆されて考えたら、単に戦前から戦後ずっと今まで件名の専門家と称する人々がテンから件名システムを誤解していたということに思いいたったのであった。
わちきがことあるごとに、

LCSHがなくなっていないという現実から考えればわかるように、件名は本来、〈使える〉ものだが、日本の件名は理論も付与実態もヘンで、OPACでも引けるものが碌になく、現状では〈使えない〉が、本来は〈使える〉ものなんだ。〈使えない〉ような標目を振り、件名を〈使えない〉OPACを開発してきたのは日本人なのだ。

というから、ツイッターでGuroさんに「教えを請いたい」などといはれたりするのだが、けど、だが、しかし、「はい、これ読んで」という教科書が日本語にない(英語にもどうだかか)のが困ったところ。
数年まへNDLのきゃたろがーたちが件名システムの改善に乗り出したが、理論の検討をせず無手勝流に推し進めたから*2、いまいちトンチンカンなんだよねぇ。

*1:このなかに、件名目録の基本的な原則になるものがあるのは、教科書にも載っている

*2:いや、一応はやろうとしたか。http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20101023/p3 けど、日本における件名の理論・運用実態についての検討はほとんどしとらんね。