書物蔵

古本オモシロガリズム

日本における「年鑑」成立の歴史

皓星社の雑索などを使っていくつか文献を見てみたんだけど、別途調べていた「出版年鑑」についてのものが意外にもいちばん役立った。

  • 出版年鑑の刊行/赤堀又次郎 図書月報 27(8) 昭和4.8 p.171-174

〔組合版〕出版年鑑の初版が、近く七月に発行せられた。(略)一ヶ年間の仕事の有様を締上げて年鑑など云ふ形式にまとめて発表する事は、古く政府の政表*1にあった。政表は今の統計の事。

と、昭和初年の年鑑を「形式」としてとらえ、起源を明治初年の統計書に置いている。

其後政府で統計年鑑が発行せられたが利用するものが少かった。尤も一般の世間が夫れまでには至って居なかった。博文館の統計年鑑*2が出るに及んで之を活用する事が盛になった。之も最初は手にするものが無き故に、試験的に無料で貸与したのであった。即ち実物広告。

で、赤堀は話を一般年鑑(総合年鑑)の話に持っていく。それから『出版年鑑』昭和4年版から、専門年鑑(という語は使ってないが)を35タイトルほど列挙。

其他に年報、年表、一覧、要覧、総覧、名鑑、銘鑑、大鑑、要鑑、資料、材料等の名称を以て、年鑑と同性質の出版ものは極めて多い。本書〔出版年鑑〕に採録せられてゐないものも勿論少なくない。

とする。たしかに『日本新聞年鑑』は列挙されとるのに、『広告年鑑』や『新聞総覧』ははいってないね(σ^〜^)*3

年鑑の発展経路

つまり、同時代人の赤堀の観察では

時期 事象 備考
明治初期 「年鑑」というタイトルの、統計書 政家必携各国年鑑M7,帝国統計年鑑M15
明治中期 上記統計書の普及と、実質的年鑑のはしりの誕生 世界年鑑M37, ?
大正半ば 総合年鑑の発生と拡大,専門年鑑の発生 国民年鑑T6
昭和初期 専門年鑑の全面化 出版年鑑T15

といったことになろう。

総合年鑑成立史

また、ちと聞き捨てならないのは、

往年矢野文雄氏が帰朝し、報知新聞で年鑑式のものを出版せられたのは明治廿年の事かと思ふ。其後同社にても一旦中絶して、近年さらに年鑑を発行せられる事となった。

と、いままでの文献で捕捉されていない総合年鑑の嚆矢をば指摘している。
国民年鑑(大正7年)』(民友社出版部, 1917)より前に、一般年鑑としての実質をそなえた本があったのか?

*1:ニッコクに「政表書」立項。米欧回覧実記(1887)の用例あり。

*2:『世界年鑑』M37-、『袖珍 〃』M39-のことだろう。

*3:ちなみに手許の『出版年鑑』昭和5年版では、年鑑の項があり、一般年鑑だけでなく専門年鑑も排列され、『広告年鑑』や国際思潮研究会『出版年鑑』やら、『評論随筆年鑑』なども挙がっている。