書物蔵

古本オモシロガリズム

最初期の「創刊号」研究

  • 須知峡風「創刊号趣味」『愛書趣味』T14.10 p.14

記述が半ページしかなく、あまり踏み込んだ考察にはなっていないが、役に立つ断片がある。
「かつて斎藤〔昌三〕氏は、創刊号収集は真の研究家にとつては、一つの罪悪として許し難いものだと云つてゐた」という。これは、「逐号のものから、一号丈を外してまで、寄せるような残酷者」がいたかららしいが、自分はそうでない、という。「出先や散歩の砌り又は夜店などで目に触れたまゝを集めてゐたので」、許されるだろうと。そして「昨今のやうに三百五百と集つて見ると」とあるので、400点ぐらいは大正14年段階で創刊号コレクションをこの須知峡風が集めていたといえる。
ところで、須知峡風ってなにもの?
1897年丹波生まれ。澱粉雑穀貿易商。T14年以降、大連。土俗品、絵馬、御影の蒐集。
だと、『内田魯庵山脈』p.317にあり。

  • 斎藤昌三「文芸雑誌年表(その一)」『愛書趣味』2(4) p.1- 昭和2.5

トーゼン少雨荘も、サラリと論理的に重要なことを言っている。
「一口に雑誌と云へば、単行本に比して多少等閑に附せられる傾向もなきしにもあらずだが、新文化の発展上、特に与って力あるものは雑誌である。雑誌の研究はやがて新文化の研究である。」
そして河井も、昭和五年東京堂が開店記念でやった創刊号コレクション展を見に行って、

  • 河井酔茗「新聞雑誌創刊号展覧会を観る」『愛書趣味』4(6) S5.3.

陳列された創刊号をいちいち見てゆくとほとんど斎藤君の出品ばかりで、事実は同君の主催だと云って差支えはないと感じた。(p.4)

と、昌三がコレクションしていることを証言したのち、

雑誌といへば軽々に扱はれて、たまると屑屋に売飛ばす人が多いのだが、ものに依って爾く軽々に扱ってはならない。

と、少雨荘と同じようなことをいっている(σ^〜^)