書物蔵

古本オモシロガリズム

日本図書館史学の転換点

ツッコミを入れようとして…

米井勝一郎氏の一連の楠田研究にツッコミをいれてみむ、とて、最初の論文から読み始めたはよいが、のっけから、とまる。

敗戦前のわが国の図書館学において、すでに戦後に理論化・実践化されているものの原型が出揃っていたのではないかと筆者は今〔1996年現在〕のところ考えている(p.39)

およよ〜(・o・;) わちきが、2006年に書物蔵にかきつくったのとまったく同じことを言っておられるぢゃないすか(゚∀゚ )アヒャ
って、米井さんのほーがぴったり10年先でしたわんわん(^-^;)

わちきの10年後の追随

この項目〔佐藤[1943]「時局と図書館学」〕を目次にみつけたときに,フワワワーッとわちきの脳内に妄想が(・∀・)
戦後,図書館員たちは目の前の仕事でいそがしかったし,ごくごく少数の図書館史家たちは当時はやりの左翼的発展段階史観にはまってきたから「15年戦争中=まっくろ黒スケ」に見えてしまっていたわけ。

明治以来,萌芽的ではあるが発展してきた図書館事業も,昭和ファシズム下で止まってしまった

というのが,ごく単純な現在ただいまの図書館史観といってよい。そしてそれは一面の真実ではある。
けど,こーゆーわかりやすすぎる理解ってのはまゆつばもの。
むしろ,

B29の焼夷弾が降り注ぐ昭和19年末まで,(帝國日本や戦時という枠組みの中ではあっても)図書館事業や言説はそのまま発展をつづけ,昭和10年代後半にはそれなりの頂点を示す分野もあった

とゆーのが,わちきの憶測。
「真っ黒クロスケ」ならだれも調べてみようと思わん。けど古本を拾った偶然から調べたら,それなりにいろいろ(戦争や戦闘と無関係なものも含め)やってたみたいだということがわかり
(あったかもしれない「大東亜図書館学」http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060918/p3

戦後日本図書館史学の転換点

米井氏がひっそりと*1楠田研究を始めた1996年当時、わちきは、戦前期日本の図書館史に興味は持ちつつも(たしか1995年ごろ一度、書こうとしたことがある)、1970年代からつづく石井史観*2ベッタリの図書館史研究会にイヤ気がさして、やめてしまったのであった(*゜-゜)遠い目
けれど地道に実証をおいかけていくことで、新たな視野がひらけるということがあるのですなぁ(*´д`)ノ
てか岡村敬二氏あたりも1980年代にはその当時風のものを書いていて、1990年代の学会発表で当時のことをソーカツするかのようなつっこみがあったと風評で聞いたけど、実証という史学の本道にわけいって1990年代、2000年代実績があがりつつあるやう…
対するに、『日本の植民地図書館』加藤一夫, 東条文規, 河田いこひ(2005)はなー(・∀・)
Amazonに誰かが*3書いた評が、じつは当たっている。

日本の植民地図書館―アジアにおける日本近代図書館史

日本の植民地図書館―アジアにおける日本近代図書館史

ってか、学術団体とかがやっているとかいう国内唯一の図書館史専門誌(そーゆーものがこの世に存在するのデス)『図書館文化史研究』に、この、現在唯一の外地外邦図書館の単行本について、書評が載らんとゆーのは、どーしたことか。けっきょく、『図雑』にも『界』にも『現代の』にも載らんかったけど。
んでも、書評が出なかったという事実に、実は日本図書館史学の発展を見るべきなのかも(ホントはキチンと批評する書評がでるべきではあったが。日本図書館史学が「学術」ならば。)。
じつは日本における図書館史研究は米井さんなどが出てきた1990年代半ばに転換点をむかえつつあったのではありますまいか。

*1:失礼乍、『中部図書館学会誌』を見られる人は限られてをるのではありますまいか。

*2:石井トン先生自身は意外と柔軟だったのではありますまいか。see. 「日本図書館史研究の顕密体制について(・∀・)」http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20071226/p2

*3:わちきぢゃないヨ。残念ながら(・∀・)。