はやくこいこいブンケンケイショーヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ
と書誌鳥に言ったら、
ひとりだけ締切過ぎて原稿だした人、ダレですかーっ(((((¬_¬)シラーッ
といはれてしまったc(≧∇≦*)ゝアチャー
いやサ、いまを去ること5年まへ(´・ω・)ノ
で、〔楠田五郎太がどのように戦後忘れられたのかの論証を〕やってみた。
これについては、「戦後のゴロウタン言説:あるいは、米井論文(1996)以前における楠田五郎太研究史」(仮題)として次号の『文献継承』に載せるつもりなのだ。仄聞するところによれば、次号の『文献継承』は日本初のゴロウタン特集になるヨシ。マジですか?( ・ o ・ ;)
でも…(・∀・)
じつは… その先があるのだ。
もっと具体的なある事件が… ゴロウタンの運命を変へ、日本初の配本車の輝きを隠しちまうことになった昭和1*年のある事件が… そしてその事件があったこと自体を隠したのは…
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20090807/p2
と拙ブログに書いたことぢゃった。
思わせぶりで秘してをった「昭和1*年のある事件」こそ、昭和12年、津山でおこった三十人……ぢゃなかった(;´▽`A`` 昭和10年、岡山で起きた
県立vs.市立図書館抗争
なのぢゃ!ヾ( ゜д゜)ノ゛ハァァァァァ・・・・・・・!
そして……。
この抗争をまきおこしたのは、なんと、楠田五郎太なる人物!(。・_・。)ノ
ん?(・ω・。)
そんなこと、図書館史マニアのだれも――楠田研究者ですら――知らんってかc(≧∇≦*)ゝ
さもあらう、さもあらう(σ^〜^)σ
だってこの事件、当時、新聞に報道されたにもかかわらず、アンチもプロも関係者全員が後に口をつぐむといふフシギな構造のもとで、図書館史上から蒸発してをったのぢゃ(#+_+)
しかして、この県立市立図書館抗争(またの名を県都問題)が、平成20年代の日本図書館業界の諸問題に直結しとる、と言ったら、オドロク?(σ・∀・)σ
わちきは5年まへ、これに気づいたとき、ほんたうに驚いた
ん?(・ω・。) ん、んーーっ!?(*ω*;)´´ こ、こりはー(×o×)
てな感じ。まはりに話したら、「( ゜д゜)ポカーン」とされたが(^-^;)