マツモトキヨシなるお店があるが、あれは同名の人がつくった会社らし。
館界にも「図書館猫もり・きよし」がおり、その自伝がある。
きのふ、風呂につかりながら、読んでみた。
・司書55年の思い出 / もり・きよし. -- もり・きよし氏を偲ぶ会, 1991.5
樺太にいたゴロウタンを、魔都上海に呼び寄せたのは、もり・きよしであったのは、トリビアネタのゴロウタンばなしン中ではわりと有名(^-^;)
まぁ正確には、自分がいやになっちゃったんで、辞めるときに、後釜に据えただけなのだけれど。
もり・きよしってーのは、森, 清 (1906-1990)‖モリ,キヨシね。
まずもって、あひゃ、と思ったのは…
森はゴロウタンがいつ頃死んでいたのか知っていたのは確実ということ。文中、ゴロウタンに触れる最初のところで、「故楠田五郎太」とある。
森に聞けば、分かったのにねー。
しまった、おそかったー(+o+)
てな感じ。
しかし、米井勝一郎氏が最初にゴロウタンに興味を持ったのが1995年で、ゴロウタンの末路をほぼ知っていたと思われる人物はみな、1990年代前半に没してをるのー(*´д`)ノ
あ(゚∀゚ ) いや待てよ… ひとりだけまだご存命の方がをる!!!(  ̄▽ ̄)ノ
ほら、満洲の国立中央図書館にいたあの人なら、おなじ新京にいたゴロウタンのことを知っておる可能性大なりっ(`・ω・´)ゝ
聞くべし聞くべし。
ってーのは余談で、これから本論(・∀・)
あとさ、以前、1回読んだときにスルーしちゃったんだけど…森ってば、
に出自があるんだよねー(まあ育ったのは大阪だけれども)。祖父母が住んでいた。そして、実際に、岡山へよく行っている。うつ病になって間宮商店を辞めちゃったときにも療養先にしているし、華中鉄道に勤めてた太平洋戦争中も、出張がてら寄っている。あまつさえ、戦局が悪化して、家族を疎開させるとき(もちろん、上海から内地への疎開)、疎開先は岡山市であった(それで家族のほうが焼け出される始末。もり自身は上海のホテル住まい)。
もちろん、ゴロウタンとは仲が良かったとみるべき。職場を紹介したのもそうの現れだろうし、神戸市立図書館に勤めていた時には、兵庫県巡回文庫と共同で緑陰文庫を成功させている。その時、ゴロウタンは兵庫県にいたわけで…
つまり…
ゴロウタンとは結構仲がよかったし、各所で同僚的立場にあったのが森清なわけ。
ん?(・ω・。) だからどーした、ってか(^-^;)
そーなのぢゃ!
漫然と読んでいては、だからどーした、から一歩もでることはできーん!
粗放農業のやうな当時の日本館界
まぁ考えてもみてくださいよ。
平成の御世でこそ、司書もどきは2万人もおるけれど、当時はほんとにちょびっとだったわけで。大日本帝国全体でも2,3千人程度では。業界は、それこそ拡大東アジア(=大東亜)全体に空間的にはひろかったが、規模的にはきはめて狭いといってよいでせう。
もりは岡山が「田舎」で、ゴロウタンは岡山市立で司書となり、もりはゴロウタンと仲がよかったと思われる。そしてもりはほとんど唯一の図書館専門商社、間宮商店の外交員も長かった。
そうか…
なにかがおかしい。
なにかが。。。
そう、図書館猫もり・きよしの伝記に、岡山の図書館のことがぜんぜん出てこないのがおかしいのだ(正確には戦後に県立のことが1行だけあり)。とくに市立図書館のことが。