書物蔵

古本オモシロガリズム

国会が保存でも研究でもないのは明治初年から

マンガの帯カバが捨てられちまうことからいえば、あそこの納本制度は納本の3類型論でいうと文化財保護に位置づけるしかないのに*1、制度的実体化のレベルでぜんぜん文化財保護になってないね。博物館で仏像を収蔵するとき、光背とか台座とかを捨ててるとこなんてないでしょ。
多くの資料を一度に縦覧(つまり、cross reference)できない閲覧システムといい、帯カバなしが普通の、「保存」ならぬ「保管」状況といい、閲覧・保管システムは帝国図書館時代そのままで、ぜんぜん保存にも研究用にもなってないのは、実際に調査研究に使ってみれば身に沁みてわかる。
んで、これがいつから続いとるかといえば、明治初年の全国の公共図書館モデル「書籍館」から変わっておらんのだ。変わるきっかけは明治中期の帝国図書館官制公布の際(1897)と、戦後の国立国会図書舘法(1948)の2回あったわけだけど、後者において目録(書誌)システムはnational libraryらしく変わったが、閲覧・保管体制はそのまンまだった。
彼らが「保存」という時は「保存技術」(conservation)であり、物品帳簿の帳尻であり、語の本来の意味での保存でないことに注意しないといけない。実際、帯カバを捨てといて「保存」などと言えるメンタリティは、わちきには全然わからん(プロパガンダとしてなら、わかるが)。

いまだ日本の公共図書館には調査研究のための閲覧方式はない

調べもの(調査・研究)で参照作業(reference work)をする猫々先生が区立図書館に行ったときの話。

私は近所の区立図書館で予約しておいて見に行くという日々なのだが、先日、15冊くらい予約しておいたら、出してきた図書館員が「ああ・・・多いですねえ・・・二週間ですが大丈夫ですかぁ」などと呟くように言った。この図書館員には、「本」というのは「読む」ものとして認識されていて「調べる」ための本という概念がないんだなあと思った。何しろ閲覧のための予約というのがないから、全部借り出して図書館内で見て、必要なところはコピーをとり、必要な情報がない本はすぐ返すのだ。
(ttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080602 強調は引用者)

この場合は外注化されまくりの区立だからなおさらだけど、直営館や国会の職員もおなじような気がする。とくにあそこは書庫出納方式だから、本がすぐ返されるのは「出納手から見ると実に腹立たしい」ことらしいしね(伊藤昭治氏の証言)。
ほんとうなら、参照作業のための閲覧方式が開発されてないといけないはずなのだが… って、もちろん、明治30(1897)年ごろにネ(・∀・)

調査・研究のための閲覧方式

国会の、点数はやたらに少ないが複数冊かりられるという出納制限の設定が、読み本のための閲覧方式でしかないという苦言は、もちろんのこと昭和時代に紀田順一郎先生が言っておること。しかし、あの閲覧方式をそのまま機械化するとは、なんともはや機械化の意味がわかっとらんのー(-_ - ;
ってか海外では当然、大昔から調査研究用の閲覧方式というのはあって、それはキャレルだとか利用申請制とか予約閲覧とかになるわけなんだけど、公共系でこの手の話って聞いたことない(さすがにまともな大学図書館にはあるが)。せいぜい浦安市立の書庫内大人席(1980年代後半だっけ)ぐらいかな。最近の千代田図書館は、あれは参照作業を目的とした席では、実はないのは拙ブログの読者なら知っておろう。
よく、民主主義(万機公論に決す)のための手段として公共図書館が大事、なんて図書館の自由論者がいうけれど、どうも眉唾。お題目ばかりで制度的保証がないような。それなら実際に調査する手段の閲覧制度が普及してもよさそうなもんだが… 普及したのはオンライン予約ぐらいのもの。ってぜんぜん調査用に開発されたもんじゃないか(-"-;)

*1:だって、あと2つは現行憲法で禁止されとる検閲とベルヌ条約で禁止されとる著作権登録だからねぇ。