書物蔵

古本オモシロガリズム

メモ深川図書館

秋岡梧郎深川図書館随想」『江東区立図書館報』(96) p.2-3 (1965.4.1)

 そこで、深川の盛城礼蔵氏、一ツ橋の島田邦平氏と京橋の私の3人で、3館協議会を作って復興計画について研究することになった。間もなく深川の盛城氏が病没。その後には元氷川図書館長の主任だった田所糧助氏(大阪市城東図書館長)が、これに代わった。…
 これらの図書館の昨日設計は、われわれ3人の手で作製し、実施設計は市の学校建築課(課長福田氏)の斎藤技師が、これにあたった。
 図書館の設計に当たって問題になった点は、(1)書庫を別棟に建てると云う前近代的な考えをやめて、書庫部を閲覧室に近接させること、(2)出納式をやめて公開書架式にすること。(3)下足制度を廃止して…
 (1)の問題はスムーズに決ったが、(2)の問題については3館の間で意見が別れ、激論の結果、結局自由接架は時期尚早ということで見合わせることになり、安全せっか式にすることで妥協した。(p.2)

細谷重義「江東追懐」『江東区立図書館報』(96) p.4 (1965.4.1)

私がはじめて図書館に入ったのは、関東大震災まだ至るところにバラック建築が立ち並んでいた頃の大正14年で、場所は深川、…中和小学校内に併設されてあった東京市立中和圕であった。…それから巡り巡って昭和28年に日比谷図書館から奇しくも由緒ある深川図書館に転勤になった訳である。…

「図書館の略年表」『江東区立図書館報』(96) p.3 (1965.4.1)
20.1.27 閲覧室に被弾、館員の手により消化、被害を最小限に止む 
20.3.1 空襲激化により臨時休館、軍使用の建物となる
21.1 一部閲覧開始
22.4 管理運営江東区長に委任される
23.11.3 自由せっか方式を採用して再開