書物蔵

古本オモシロガリズム

昭和8年の古本屋ならぬ、フルボン屋!

昭和8年に帝都なる深川で

時ハ昭和8年も春過ぎ、梅雨に入ろうかとする頃。
所は帝都東京市の城東深川。
ここに古本屋を求めて徘徊する男がひとり。
平成のいまでこそ古本屋なぞ、おしゃれ系コンセプトショップぐらひしかない深川だが、当時は労働者階級のためのセコハン本を売る古本屋が四十軒ほどもあったさうな(*゜-゜)
ここに現れたる山路赤春こと山路信之助、これもまた古本屋。
ちと面白い本を集めて売るのが店の方針。
セドリをしやうと店を探していたのだらうか。
街角にたむろしたるガキンチョに訊いて曰はく、

ねぇ、キミ、ここいらへんに、ふるほんや、あるでしょ?(。・_・。)ノ

これに道端の子供がなんと答へたか?(σ^〜^)

フルホン屋ぁ?(-∀-;) そんなのは知らねえやィヾ(*´∀`*)ノ゛

ん?(・ω・。) 知らん? おまへ、ここいらへんの子だろ。知らんわけないだろ、ふるほんや(。・_・。)ノ 古い本を売っているところだよ(σ・∀・)σ

あゝ、さうかぁ、なーんだ、ふるぼん屋かぁ(・∀・`;)
フルボン屋なら向う横丁のお芋屋の隣りよ

って、これはほんたうにあったやりとりぢゃぞ(σ・∀・)

同じ頃、浦和にもガキンチョが(σ^〜^)

このやりとりが東京で行われていたころ、武蔵国なる浦和では、稲村坦元てふ僧籍のかわいい5歳になる息子が、おやじのトモダチで漫画家の宮尾よしをににがをヱを書いてもらっていたということは、誰も知らない… おそらくこのにがをヱは歴史の闇に消えていくことぢゃろうが…
長じて古本マニアになることは本人も知らなかったことだらう。

典拠

山路信之助の経営せる「赤春堂」の古書目録を拾ったのは、ハテ、どこでだっけ(。´・ω・)?

東京深川辺にて
「君この辺にフルホン屋はないかね」
途上の鼻たれ曰く
「フルホン屋?そんなのは知らねえや、(間)ナーンダ、フルボン屋か、フルボン屋なら向う横丁のお芋屋の隣りよ」
『フルボン:赤春堂古本目ろく』昭和八、六月はじめ p.1

古書目録というのは基本、消耗品で、残されることはほとんどない。
そんななか、反町弘文荘は、これは古本業界の史料になるとて、残し、それは千代田図書館に保存されることになった。
いま千代田区千代田図書館の古書販売目録DBをけみしてみると、たしかにこの、「フルボン」は保存されているが、1933年11月の5号からである。
ゆえにこの「フルボン」がなぜ「ふるほん」でなく「ふるぼん」となったかはわからんのぢゃが、かやうにわちきが拾った初号によりてわかるという次第ぢゃ。
しかし面白いのー(σ^〜^)
まあそれはともかく、こがいな、ささいな知識、フルボンという読みもありえたことが拾えるのも、古書目録にあるささいな記事のささいなオモシロさであらうか(*゜-゜)