書物蔵

古本オモシロガリズム

東亰書籍館時代

トウケイ・ショジャククヮンについて下記2つを読みて三浦論文を読むなり。

米国フリー公共図書館の成立と同時期、ということはわかったんだが、ホントにそれが田中不二麿に看取され東京書籍館の無料方針につながったか、いまひとつ立証が足りないと思ったのがわちきの感想。

これはフリー図書館論一般にも言えるんだが、見料の有無より、「何人ニテモ登館シテ適意ノ書籍ヲ展覧スルヲ得セシム」とあるように、誰でも、つまり四民のいずれでも自由に、の意味でのフリーのほうが重要と、わちきは思うんよ。
戦後日本図書館史学は石井㌧先生のマルクス史観の影響で、閲覧料にばかりこだわるけれど、まずもって市民革命とは、身分差解消の革命だったでせう。カネさへ出せば「何人ニテモ」書籍を縦覧できるのが公共図書館のまず第一にいいところ、とむしろマルクス主義的発展段階から言えるのだが、そういった四民平等と図書館のほうはまじめに検討されたのを見た事がない。
ただ、これらでとりあえず東京書籍館公共図書館モデル説は後藤純男あたりが唱えたということがわかった。

やはり永井久一郎が重要だなぁ。「永井は納本制度の理解について言明してはない。しかし、福沢諭吉が『西洋事情外編』で納本制について言及し、アメリカの議会図書館とスミソニアン博物館とを挙げたように、渡米経験のある永井もまた、議会図書館への納本についての知識は有したのではなかろうか。永井は図書館機能の1つとして納本制の取り込みを図ったと推察できる。」
書籍館ないし東京書籍館が、ただの公共図書館でしかなかったとして、そうでしかなかった東京書籍館を、国立的なものに持って行った功労者は田中稲城なんぞではなく、永井久一郎ということになるな。田中はむしろ看板(=名称および官制)をかけ替えた人ということになる。全国書誌は結局、帝国図書館時代には作れなかったんだしねぇ(゜~゜ )