トウケイ・ショジャククヮンについて下記2つを読みて三浦論文を読むなり。
- 伊東 達也 田中不二麿の図書館観の特徴とその起源 : "free public library"としての東京書籍館の由来をめぐって 教育基礎学研究 1349-1784 九州大学大学院人間環境学府教育哲学・教育社会史研究室 2013 11 1-13 https://ci.nii.ac.jp/naid/120006398732/
米国フリー公共図書館の成立と同時期、ということはわかったんだが、ホントにそれが田中不二麿に看取され東京書籍館の無料方針につながったか、いまひとつ立証が足りないと思ったのがわちきの感想。
- 伊東 達也 学制施行期の書籍館政策について : "free public library"としての東京書籍館の成立をめぐって 日本図書館情報学会誌 1344-8668 日本図書館情報学会 2013 59 4 133-144 https://ci.nii.ac.jp/naid/110009806824/ 10.20651/jslis.59.4_133
これはフリー図書館論一般にも言えるんだが、見料の有無より、「何人ニテモ登館シテ適意ノ書籍ヲ展覧スルヲ得セシム」とあるように、誰でも、つまり四民のいずれでも自由に、の意味でのフリーのほうが重要と、わちきは思うんよ。
戦後日本図書館史学は石井㌧先生のマルクス史観の影響で、閲覧料にばかりこだわるけれど、まずもって市民革命とは、身分差解消の革命だったでせう。カネさへ出せば「何人ニテモ」書籍を縦覧できるのが公共図書館のまず第一にいいところ、とむしろマルクス主義的発展段階から言えるのだが、そういった四民平等と図書館のほうはまじめに検討されたのを見た事がない。
ただ、これらでとりあえず東京書籍館=公共図書館モデル説は後藤純男あたりが唱えたということがわかった。
- 三浦 太郎 明治初期の文教行政における図書館理解 : 「公共書籍館」理念の成立をめぐって 教育研究 04547411 青山学院大学 2009 53 83-112 https://ci.nii.ac.jp/naid/110007542461/
やはり永井久一郎が重要だなぁ。「永井は納本制度の理解について言明してはない。しかし、福沢諭吉が『西洋事情外編』で納本制について言及し、アメリカの議会図書館とスミソニアン博物館とを挙げたように、渡米経験のある永井もまた、議会図書館への納本についての知識は有したのではなかろうか。永井は図書館機能の1つとして納本制の取り込みを図ったと推察できる。」
書籍館ないし東京書籍館が、ただの公共図書館でしかなかったとして、そうでしかなかった東京書籍館を、国立的なものに持って行った功労者は田中稲城なんぞではなく、永井久一郎ということになるな。田中はむしろ看板(=名称および官制)をかけ替えた人ということになる。全国書誌は結局、帝国図書館時代には作れなかったんだしねぇ(゜~゜ )