書物蔵

古本オモシロガリズム

高島先生

お言葉ですが…』別巻1 高島俊男を読了。
あとがきに高島先生げんきになったとある。ひとごとながらうれしい。また高島先生の本が読めますな。
むかしの職業がらびっくりしたのは「「水五訓」の謎」(p.37-55)。
この「水五訓」ってのは一見してわかるが水関係者にうけている通俗処世法なのだ。
この出所について回答した大きすぎる図書館のレファレンサーについてこんなふうに評している。

日ごろ文献の調査をやっているのだから、「水五訓」の本文を一目見れば、これはそんなに古いものじゃない、多分昭和の戦後、よほどさかのぼっても昭和前期が限度だとわかるはずだ。それでも、黒田如水王陽明か、と問われれば黒田如水関係の文献や王陽明関係の文献を入念に調査するのですね。百パーセント無駄と知りつつ――。むなしいことだ。

まぁ、レファレンスってーのは、聞かれたら答えるという図式でしか動かんからねぇ。そこが学者とちがう。ちょうど裁判所が、聞かれたらそれについてのみ答えるというのに似ている。
でも、このつぎの指摘は考えさせられて。

気の毒と言えば気の毒だが、また考えてみればズボラである。
見れば昭和のもの、それも多分戦後のものとわかるのだから、何故昭和に調査範囲をさだめて、現在あるものから、一つ一つ、過去へさかのぼってしらべないのか。出発点は架空の黒田如水なんかじゃなく現在ある「水五訓」だ。国会図書舘ならできそうなものではないかと思う。

検索戦略がまちごーとるんじゃないの、とのつっこみ。
結局、答えは『キング』昭和4年2月号の大野洪セイなる不詳の人物だったそうだけれど、高島先生のつっこみからいえることは2つあるように思う。
ひとつは。
これは「レファ協」的なものへの批判なのだけれど、レファ事例をレファぢからUPに役立たせたいのであれば、突っ込みとセットでなけりゃあならんということ。できれば回答そのものが構造化(どういった質問の分析からどっちの方向を調べようとしたかとか)されとらんといかんとゆーこと。
ってか、こんなことはさんざ書いたか。(referenceの事例集DBが,意外と実務に役立たない理由
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20051114
あとは。
人文系のレファって、時間をかけるかかけないかが実は死活的に重要であるということ。
科学系、経済系のレファみたいにインスタントでもそこそこ美味いもんができるジャンルならいざ知らず。
それを人文系で求めちゃう人ってのがいるからなぁ。
いやさ、インスタントを望んでれば、それもできますでしょう。
調べました見あたりませんでした、と、句読点をつける間もなくあっとゆーまに回答が出ることでしょうて。
もちろん。
それを望むお客さんもいるし、とりあえずの結果を教えてくれっちゅーお客さんもいるでしょう。
けど、そんなお客ばかりでもないということではないかいな。
とくに今はインターネットの世。
インターネットじゃわからんことを答えられなけりゃあそも要らないわけですから。