書物蔵

古本オモシロガリズム

なつかすぃ…

GCWたんがなつかしき浦安批判を思い出しているので呼応してみる。
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浦安のブランケット・オーダーが批判されて滋賀のブランケット・オーダーが批判されないのは、ひとえに党派性によるものとも考えられますが…
前川御大がお国入りしたあとの滋賀県立については、じつは記述したり論じたりする文献が、その影響のわりに、おどろくほど少ないのですよ。わからんでも無理もないのでは(*´д`)ノ
貸出し中心の市町村立と、貸出しを後方支援するバックヤードとしての県立という図式(・∀・)
実態としては県立図書館論に影響し、1980年代の滋賀県立モデルが、論じるまでもなく正しい県立像として、協会の「任務と目標」(1989)で追認され(http://www.jla.or.jp/ninmu.htm)、1990年代末にはそれが業界に通説として受け入れられたともいわれました(塩見1999)。
じっさい、現在でも県立論をする人は、無意識的にせよ前川滋賀モデルを下敷きにしていて、それに対する疑問というのは、じつは近年の、渡邉斉志 「投稿 都道府県立図書館の機能に関する言説の批判的分析」『現代の図書館』44(4)(2006.12)まで、まるでなかったというのも、業界の言説空間の貧困さをあらわしているような(もちろん、前川滋賀モデルが論じるまでもなく正しいから、という立論も可能)…
しかし、いま「任務と目標」をみたら、個人貸出ししない県立はケシカランとありまして、そうなると都立中央なぞ、これは都民に奉仕せぬ不要施設として石原知事に廃止してもらわねばなりませんです(゚∀゚ )アヒャ
てか、都立における前川滋賀モデル的な流れは、都立多摩(立川)が代表してはいますが。
管見の限りでは、前川滋賀についてのいちばんまとまった文献は、『滋賀県立図書館創立50周年記念誌』(1994)の岸本たけふみ氏の部分でした。
前川先生がらみのことに疑問をもつと配下のひとが足元すくおうとやってきてしまいますが、(■【図書館雑誌は】「よしの冊子」がゴシップになってるよし【永遠に】)それではあまりに悲しい。
わちきは、前川滋賀モデルには長短あったと思っているですよ。