書物蔵

古本オモシロガリズム

出版社のフロー主義は税制から

アングラ・ブックカフェでフリーペーパー拾った。そこに古本屋ネタが。
「当世古本屋事情 その2」『Kanda ルネッサンス』(78)(2006.summer)p.12-13
「けやき」さんと「とんぼ」さんと「高山本店」さんが座談している。
古書店とブコフは棲み分けできつつあるのでは、とか「団塊の世代」が退職で時間ができると、古書の買い手や売り手になるのでは、とか。
わちき的にオモシロかったのは、出版社の在庫(ストック)への課税の話。

日本では在庫を抱えると税金がかかるんです。欧米諸国では売れたときに売上税的に発生するので、出版者の在庫は無税。むこうでは「本は文化、支えるもの」っていう考え方が根底にあるので、ストックしておく場所さえあれば20年30年前に出版された本でも在庫として残っている。(けやきさんの発言)

日本の話は出版者のなげきとしてよく読んだけど、欧米で「売れたときに課税」というのははじめて読んだ。

でも日本では(略)どんな大出版社でもなるだけ在庫はもたないようにする。おかげで古本屋がなりたつんだけどね。

なーるへそ。

図書館のフロー主義は税制から? なわけない。

それで、わちきがひとこと付け加えると、出版社だけじゃなく図書館もフロー主義でやってきた。
だから、わちきにいわせれば、

日本では図書館もストックを軽視してきたから、古本屋がなりたちやすい

のではと。
てかこれは、戦争直後からいわれとるんだけど。
来日した米人の図書館専門家達に神田古書店街を、「これは日本の文化だ」と紹介すると、「日本の図書館が遅れとる証拠」と返されるのだと(と、どっかに書いてあった)。
出版社なら、「日本国税制のせい」と非難の対象があるけど、図書館のほうは、文科省がおしつけたものでもなんでもなく、業界が自主的に喜んでやったものなわけで(ほんとは論争があったのだが)、政府のせいにはできんねぇ。

そんな日本国はオクレた後進国なのか?

もちろん、なんでもかでも米国が正しいわけでもなく、日本国が、

日本じゃあ出版社も図書館もストック軽視だが、そのかわり古書店が、国全体に必要なだけ十分にストック機能を果たしている。あまつさえ、産業として雇用すら生み出しており、それは米国なんかよりずっと効率的で新自由主義的にも正しいのだ

ということも可能ではあるのだ。
たまーに、館界にも、「米国=進んでて近代的。それ以外=遅れてて前近代的」なんちゅーアフォがおりますけどね。
米国、欧州、日本は、それぞれ違うタイプの近代を歩んでいる、と考えるべきかも。

図書館より古書店が便利な点

実際、ちょこっと古い本なのに(べつに、奈良絵本を見せろって言ってるわけじゃない)、やれ「貸出しはしません」の、「(著作単位で)コピーは半分まで」とか、「(料紙の状態にかかわりなく)禁複写のラベルがあります」の、「マイクロで目がまわっても知りません」とかゆー図書館ばかりだからなぁ。
古書店から入手するに如くはなし(もしあれば)。
全文じっくりよめるし、目もまわらんし、造本の構造も知らず本を壊しまくってるような司書さま*1にあれこれ言われて腹が立つようなこともない。
値段だって、大抵の場合、数千円*2ですむわい(もしあれば)。
しかし古書店を利用しない(人文系の)研究者さま方は、いったいどうやって必要な文献を入手しとるのだろう… 図書館本は一生に一回、半分までしかコピーできんし… まさか?!

*1:このまえ、戦時中の本を借りようとしたら、製本に失敗して紙が皺になってるところを目ざとくみつけ、むりに皺をのばして直そうとして(そんなの劣化した料紙がもつわけない)、(結果的に)本を壊してたおバカ司書がいたよ。そのおバカさんがわちきに、くどくど資料保存についてご注意しくさるから、心底腹がたった。

*2:古書展で1500円以上「も」する本は、基本的に内容もそれなり