書物蔵

古本オモシロガリズム

右であれ左であれ落ち着いた議論は好き

館界では「極右」「保守反動」と思われてしまうよーな極悪書物蔵ではあるが、実は進歩派だろうが左翼だろうが、落ち着いた議論は好きじゃ。

戦時文化研究の新しい流れ

国民読書運動、戦時読書指導史を研究するうえで、現在ただいまイチバン重要な大月書店の資料集に曰く、

〔文献展望したうえで〕以上のように、戦時期の文化についての研究は進展しはじめており、資料集の刊行によって研究条件は整いつつあるが(後略)

ふむふむ

戦時下において唯一「合法的」な文化運動であった翼賛文化運動には、あらゆる潮流が流れ込んでおり、「文化翼賛」「文化報国」の名のもとに戦争協力活動の一翼をになったのであるが、そのなかには、自主的に翼賛文化運動を推進しようとする動きから、画一的組織化と同委員を重視する動き、さらにはきわめて攻撃的・抑圧的な動きまでがあり、同一の文化団体のなかにも確執・対立がある。(中略)
(前のほうで列挙した)上記の諸研究にはそうした点(確執・対立)への着眼がみられるが、一方、アプリオリに、あるいは一律に「ファッショ的」・「翼賛的」と規定することに終始する傾向もみられる。だが、それだけでは戦時期の思想と文化の研究の前進は望み得ないであろう。(強調は引用者)

一読、ハタとひざを打つ。
たしかに、当時合法的になにか「やる」には翼賛文化しかないですわい。あとの選択肢は、なにも「やらない」か、「非合法に」やるか。
で、結局、なにか「やる」に賭けた人たちは翼賛会に流れていくことになるよ。

大政翼賛会自体が、さまざまな勢力の思惑と妥協の産物として生まれた寄合所帯の性格を帯びており、

って、まさしく読書運動がそうじゃないの。
中田邦造をはじめとする読書会運動は、ごぞんじのとおり翼賛運動がはじまるずっと前、支那事変がはじまるずっと前からあったわけで。

館界風土と中田邦造

館界には東と西で風土の違いがあるという。
東のほうは官。文科省がありNIIがありNDLがあるため、現実的、妥協的。
西のほうは民。図書館界の場合、理想的、原理主義となって発露する。
(ってのは、わちきの読み解きじゃないですよー。ひとむかし前にご教授いただいたのだ。)
べつにどちらがいいっていってるわけじゃない。
それぞれきちんと現実主義や理想主義をやって、意見を戦わせてくれればいいのだ。
むやみやたらに現実に妥協しまくったり、むやみやたらに原理主義を実行しようとしたり、つまりは教条主義になったらいかんということなのだ。
石川県はギリギリ関西文化圏だが、中田邦造によってちょうど中間的な動きになったのではあるまいか。
別のもんのよさを残しながら統合することを、哲学用語で「止揚(aufheben)」っていうが、まさにそれ。