書物蔵

古本オモシロガリズム

大東亜の"pseudo library-school"閉鎖の理由(満洲の沃野に読書はあったか 15)

さてこれで大東亜図書館学の逸話たる「芝富読書指導者養成所」の廃止がわかる。
ちなみに,これを著者が書いているのは昭和20年の1月*1

財団法人満洲開拓読書協会静岡県下芝富村に読書指導者養成所を設けたのは,去る昭和十九年二月十一日のことであった。そしてそれが閉鎖を見たのは同年八月であるから,開設期間は僅か六ヶ月の短い間に過ぎなかったのである。(p.2)

ほへー,あっというまに「閉鎖」されちゃったんだー
でも,どうして?

直接理由は時局已むを得ないを得ないものであるが,間接的にも実はいろいろのことがないではなかった。(p.3)

理由の第一は「時局」,つまり戦局の悪化だという。でも…
んー,でもフツーに邪推,じゃなかった推論するとこの「間接的」理由のほうが本当の理由だったりして(・∀・)
著者は「著者自身に後半の所長として当たるの已むなきに至った」(p.19)と書いているから,第2代目かつ最後の所長さんだったということがわかる。
初代の所長は中田邦造ね。名目だけだけど(実質は,主事・東田平治)。
で,著者,つまり大政翼賛会文化部側がどんな方針をもっていたかというと

経営と教育の一体的運営(p.6)

であり,とどのつまり「養成所食料自給農地の耕作」という「農耕の重視」だったのだわさ。
んで,これが内紛の根本原因(じつは,地元とのトラブルという外因も副次的にはあり*2)。
なんて,これだけではナニガナンダカわからんけど,このまえ到着した自叙伝の記述を足しこむと,あら不思議。

〔昭和19年7月〕十八日 暑さ本格的となる。(中略)
午後二時近く東田先生が見え,理事長〔藤井崇治か?〕との話し合いの様子を聞かせてもらった。連れ立ってまた帝大の中田先生の所へ行く。芝富での堀内先生の農耕第一とするという計画がばれたとの事で話し合った。(p.83)(強調,引用者)

この人(堂前さん)は,石川県出身の教師から満洲開拓義勇軍の教学幹部へ転身しようとしていた人なのだわさ。読書運動には梶井重雄氏をつうじて中田邦造の感化をうけていた。
んで,最初の読書指導者練成会(昭和19年2月)に参加していたのだわさ。この自叙伝(の戦時中の日記の部分)は昭和19年の3月から5月がなぜだかとんでいるんだけど,7月のこの記述が,今回の代謄写本の記述とあいまって雄弁に語り始めるのだ。
うーむ,やはり史料はすみからすみまでズズイと読むべきなのだのー。図書館で半分までしかコピーできなけりゃあ,そりゃ研究なんてできませんなぁ。あたりまえのことながら。古本者は著作権法の学術阻害条項など軽々とクリアしてしまうのじゃ! 研究者サマ方はいったいどうやってるのだか… まさか?(つづく)

*1:代謄写」本なので奥付がないが,文末に「(昭和廿年一月二十八日敵機空襲下砲弾の音を聞きつゝ)」とある。

*2:再論予定