書物蔵

古本オモシロガリズム

45年の時をへだてて(満洲の沃野に読書はあったか 13)

画像をごらんあれ。

名前が同じであろう。
中田邦造は「金丸村の梶井重雄,七塚町の東田平治穴水町の川辺甚松といったすぐれた読書指導の実践家・理論家を育てた」*1とゆーことに相場が決まっておる(JLAの準正史(1992)でも踏襲)。もちろんそれはそうなんだけど,そのまわりにも彼等を支えた人々がいたのだろうということが容易に想像されよう。
フツーならそれらの,次にくる人々は,あなたやわちきみたいに歴史の闇に消えていくことになるんだけれども,なんと(×o×),自叙伝を書いて当時の読書運動のありさまを記録しておいてくれた人がいたのだわさ。えらいっち。
わちき,この本の存在を,今年の8月22日にある人に教えてもらって以来,これは超重要と入手せんしてきたのだ。
それが,すっかりあきらめたころ,届いたというわけ。おととい。
この本,私家版の自叙伝だけあって,どこの図書館にも置いてないし*2,ネットでも売ってない。おそらく古書展にも出ないとみた。でも,これだけはなんとしてでも現物を入手せんと,以来,極秘裏に(・∀・)うごいていたのだ。
いやぁなんというか。
こーゆー時ほど自分が古本マニアでよかったと思う時もない。
いつもは,古本のほうが向こうからやってくるのを古書展や古書会館で待ち伏せするわけで,必要なものを適宜入手するという学者先生みたいな形はとらないんだけど,いままで聞きかじってきた古書マニア譚を応用すると,あら不思議! 実は(古書市場にないものも)なんとか入手できてしまうというミラクル。1980年代に紀田順一郎先生のファンになって以来,古本道に邁進したおかげというもの(^-^*)
カネに換えられない。
中田邦造満洲で落ち合ったときのこと…

〔昭和18年〕十月四日
中田邦造〕先生と共に,九時国務院分館の〔満洲国立中央図書館を尋ね,滝川先生の室で第三日目の読書会講習が行われた。久し振りに中田先生の熱心な指導に接したのである。(略)
実に中田先生が如何に満洲開拓地の人達の読書運動のため力を尽くして居られるかのお姿を眺め,私は感激の涙に咽んだのである。

芝富読書指導者養成所でのこと…

〔昭和19年3月〕十七日
(略)〔薪をとりに〕山へ登る道中,中田先生から満州開拓地へ送る書物の事,その着手,計画を話されたのに,私は心から敬服した。その後幾年月経た現在も,私はあの時の重い薪を背負って山を下られた,中田先生のお姿を思い浮かべると,涙が出て止まらないのである。中田先生とは,こういうお方であった。

このような人々がまわりにいたということなのだなぁ。中田邦造のカリスマはすごいっち。
でもこの本,こんな感じでつづくのだ。歴史の中に埋もれた戦時中の図書館界の一端がまんま書いてある。ものすごすぎ。
わちきもこんな貴重な仮性図書館本をゲットできて涙にむせんでおるですよ。

しかし不思議なのは

こーいったレア文献を使わんとわからんことを研究してる学者先生たちって,いったいどーやってるのだろうか。国会はむやみにコピー制限が厳しくなって,まともに研究に使えんし。不思議じゃ。まさか…

*1:叶沢清介『読書運動』(1974)

*2:石川県立と国会にはあるみたい。けど半分しかコピーできないんじゃ意味ないね。