書物蔵

古本オモシロガリズム

イデオロギーと図書館(戦争責任と図書館員 1)

教条主義的な人々に対して言いたいのは、
「いったい当時、司書たちがどーしてればご満足なのか」
という疑問と
「あんたら、現在ただいま革命しとるかね?」
という疑問なのだ。
たとえばマルクス原理主義的に考えれば、現在ただいまのわが国じゃあ、どんなに逆立ちしたって資本主義体制・ブルジョワ民主主義に奉仕するサービスしかできんわいね。
若き日の裏田武夫先生も言っておるぞよ、現在の図書館員がゴホーシする図書館も「プチ・ブル的図書館」と*1
もちろん、ニッキョウさえ放棄しておる暴力革命をすすめる本を購入しまくり(神田にだってブックマートの地下にしかないよ)、ブルジョワ民主主義(議会主義)をすすめる本をコソーリと廃棄しまくれば、後世、革命が達成されたおりには東條先生バリの研究者から褒められるだろうけど。政治的に正しい図書館員だ、って。
戦前は昭和の途中から、マルクス主義を標榜する活動は絶対できなくなったの*2。そのなかで図書館人たちはどう動いたか、を問うべきなんであって、現在ただいまの地点から考えれば、どーうごいたところで全部、天皇制にむすびつけようとすればできちまう。
いまでさへ、あんなに左翼チックな図問研だって結局は資本制・天皇制に奉仕してる(といえる)のだよ。もちろん、そーはいわんがね。
そうじゃなくってさ。
戦争期の日本がはちゃめちゃだったとしてさ(それは認めるでよ)、
「(こんなんじゃ)ヤル気ねー」と退嬰的だったのか(「自由主義者」ね え?わちき?)。「(戦争はともかく)読書はいいことだから」と運動したのか(中田邦造ら)、「支那庶民や(日本の)兵隊どもが焚きつけにしちゃってからに」とボヤキつつ典籍を拾いあつめ、頼まれた整理を黙々とやるか(大佐三四五ほか)
これがたとえば、(「当時の」国際法に反した)図書略奪に加担したとかいうんならまだしも、そーゆー事実は、まだ出てきとらんねぇ。

1)合法的になにか(いいことを)「やる」
2)(いいこともわるいことも)なにも「やらない」
3)(いいことを)「非合法に」やる → 特高にとっつかまる

さあ、あなたが戦時図書館員なら、どれを選びますか?
わちきは特高の拷問にとても耐えられそうにないし、めんどくさがりやだから2)かなぁ。

*1:『図書館ハンドブック』第2版 1960「イデオロギーと図書館」

*2:米国の影響がつよかった館界に、もともと本物の「主義者」の図書館員なんてほとんどおらんし。まぁ竹内善作は元・主義者だが。