書物蔵

古本オモシロガリズム

中田邦造の偉さとは(満洲の沃野に読書はあったか 4)

敗戦前後の図書館

昨日、行きの電車ン中で「特集・敗戦前後の図書館」を読みすすむ(図書館雑誌』(1965.8))。
昭和40年にでたこの特集は当時存命だった関係者に執筆依頼をし、また座談会もやるというもの。
ほかに得がたい証言なのだ。これ1冊まるまるリプリントすべきだよ。
いまはもう、これらの人々はほとんど鬼籍に入り、証言は得られないからね。

本当の逆境のなかで

現在も館界は戦後日本としてはかなりの逆境のなかにある。けど、当時は今とくらべものにならない。
でも物資の欠乏のハナシをしてるんじゃないよ。
社会的認知のハナシをしておる。
いま、図書館タタキ(民営化論者・貸本屋批判)の急先鋒の人たちだって、「日本社会にそもそも図書館なんか要らんのだ」ってな主張をするひとは一人もいない(すくなくとも、わちき以外(・∀・)そんな論を吐く奴はわちきは知らん)。
まあ、戦後日本の民主イデオロギーのもとではそんなことは言えない。
けど戦時中は、みんなが正々堂々と、きっぱりはっきり、「この時局に、そんなもん(読書・図書館)は要らん。やめてしまえ」と言ってたのだよ。

有山 しかし全体的に見ると,戦時下の図書館というものは,遊休施設だからつぶしてしまえというようなことで……。
雨宮 つぶされなくても他へ転用の危険性は非常に多かった。

そんななかで、文部省、翼賛会、満洲国だろうがなんだろうが、賛同し、おだて、だまくらかしてでも、カネや物資を調達してくる人が館界には必要だったのではないだろうか。

有山 中田さんが非常に力を入れてやっていたのは,図書館向図書の優先配給といううことですね。(略)
(中略)
廿日出 (略)本は優先的に配給されますからどんどんきますよ。

不要不急のものは正式に要らんとされた社会にあって、「国民読書」という政策的な柱をたて、なんとか最低限の読書をさせようとしたのが中田邦造だったのではあるまいか。

加藤 それだから読書運動でもやって動かなければ注意を引かんからやったんですよね一つは。

って,いちいちわちきの放言を裏付けるような発言を重鎮たちが座談会でしておるわい(^-^*)
確固たる信念を持ったタヌキ*1
もちろん、これらが、米人を殺すための新兵器をつくるための読書運動・図書館活動なら、道徳的に若干の疑義があるだろうけど。幸か不幸かそうじゃないよね(あ、やっぱり読書って不要不急だわん)。
軍国少年が工場でふらふらになりながらも、読書をしてよい時間が確保される。
開拓団員が農作業でふらふらになりながも、読書をしてよい時間が確保される。
これが果たして、極端なる国家主義軍国主義に奉仕することになるのだろうか。

わちきがいいたいのは

もともと司書ってのは本質的にスタッフ職なんで、ともすると(倫理的・道徳的に)清すぎて正しすぎて美しすぎる議論をやってしまうところがある。
図書館史ってのは、まずもって図書館事業史なのだから、(状況に照らして)具体的になにができてなにができなかったか、というところを問うべきと思うのだ。
中田邦造は、西田哲学に影響されただけあって抽象的な図書館論「も」持っていた。で、戦後から今まで盛んに誉められ研究もされてきたのは、この、図書館思想家としての側面だった。だからわちきは、はっきりいって中田邦造論をさして面白いものとは思っていなかったのだった。
でも、「満読」の設立趣意書を買いのがすとゆー奇縁によってここしばらく戦時図書館界のことをおっかけてみるようになったところ、中田邦造の偉さってのを、ぜんぜん別に感じるようになってきた。
もっと事業家としての側面を評価すべき。
国全体がはちゃめちゃでバカバカしくも悲惨な破局へむかっていったなかで、それを所与のものとしつつも、なんとかかんとか館界を、そして読書のエンドユーザを支えようとしたのが
確固たる信念を持ったタヌキ
だったのではあるまいか。
あとづけ史観にのっかってると、現在ただいまの安全地帯から容赦なく先人たちをタタける。戦時図書館員たちを、軍国主義に奉仕した悪い奴ら、なんていうのは簡単だけど(ほんとは、人に罪科を課すには具体的な証拠がないといけないから極めてむずかしいのだけど)、これがいちばん、コワい。たたけばたたくほど、ご自身が絶対的正しさの高みへ昇っていくよ

*1:なんども言うが、わちきにはこれはホメ言葉