書物蔵

古本オモシロガリズム

タカシの前にクニゾウありっ!`・ω・´)o:県立図書館論の新起源

鳥取県図書館協会報 第1〜10号 . -- 鳥取県図書館協会 , 193612

印刷カード図書目録1枚1銭 . -- 日本図書調査所 , 1936.5

古書 里艸

千葉県立中央図書館三十年略史 記念事業後援会 3,000円

永楽屋

彦根図書館新築記念絵葉書2枚工事概要入平面図(絵はがき2枚大二ツ折)袋付 彦根町 2,500円

港や書店

満洲の栞 川崎操 3,675円
これまたウルトラ・スペシャル・レアな図書館本、『中央圖書館長協會誌』(2)(1939.9)が送られてきた。3000円。ウレチイ(^-^*)
Webcatでは東大しか所蔵がわからず、ゆにか等で県立数館に所蔵が確認されるもの。めずらしい所では、台中にもある模様。もちろん、例の、志智嘉九郎の提唱にかかる『全国公共図書館逐次刊行物総合目録』(1963-1968)ではもすこし(かつての)所蔵がわかるが。なんとまあ、元締めであった帝国の後身たる国会には所蔵情報がない。不思議(・o・;) きっとあそこは図書館学(という姿見、大鏡)には興味がないのだろう… 自分がどう見えているか、ってわからんと、ヘンテコなお化粧になっちまいますがの(・∀・)
ぱらぱらと「巻頭の言」を読むと…

「焦点を見定めよ:中央図書館機能の本質」

中央図書館の本質について、「一次的図書館機能」と「高次的図書館機能」をわけて考えるべきとダレカが書いている… ん、この論理ってどっかで聞いたような…

邦造タンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

これって、有山タカシ(@4AFB)の「第二線図書館」論そのまんまでありますまいか!(+o+)
執筆はどうやら中田邦造のやう… さすが!(゚∀゚ ) 邦造タン。
って、そんなウキャキャしてもらってもワケワカランってか?(^-^;)
いやサ、薬袋先生によれば、

 この「第一線図書館」「第二線図書館」論をわが国で初めて提唱したのは、戦後、日本図書館協会事務局長、後に日野市長を勤め、わが国公立図書館運動の発展に多大の貢献をした有山〓〔タカシ〕である。(略)
 有山がこの考え方を提唱したのは、図書館法成立直前の1950年から1957年にかけてであり、(中略)まず、1950年1月に雑誌『教育と社会』(以下略)

というわけ。
県立図書館論史については、薬袋先生のまとめがあるきりなんだけど、そんなかで県立図書館論の嚆矢として位置づけられとるのが有山タカシなわけなんだが…
じつは昭和25年の有山が嚆矢ではなくて、昭和14年の中田までさかのぼっちまうというわけ(゚∀゚ )アヒャ

理の当然の「発見」

しかしなぁ、考えてみれば当然の「発見」だよなぁ…(´〜`;)
だって、「高次機能」の、具体的事業メニューって改正図書館令で法定されとったわけだし、中央図書館長協会ってば、それを実践せにゃならん館長の集まりなわけで、集まったら集まったで、

中央ったって、オレら、なんでこんなこと(市立への貸出とか)せにゃならんの?

って疑問がでるのはトーゼンなわけで、そこに論理操作ができる人がいれば(邦造タンってば、西田幾多郎門下ですよ!)、

それはネ… ○○だからだよ

となるのは必定。
しかして、あの、びっちりばっちり細かい薬袋先生でもお気づきにならんかったとは、こりゃーもう、戦後の言説空間全体の問題としかいいようがありませんなぁ(*´д`)ノ

日本図書館事業における戦前と戦後は、その政治意識についてはまったく正反対に切り離されているが、事業モデルにおいては実はつながっている部分がある。レファレンス然り、そして県立二次的機能論もまた…

これまた通説を修正するようなトリビアを見つけてしまったことですよ。
とゆーことで。
わちきが鹿爪らしく論文を書くとしたら、こんなぐあいかすら。

「第二線図書館」論の新起源

 この「第一線図書館」「第二線図書館」論をわが国で初めて提唱したのは、表現こそ違え、戦前、石川県立図書館長、後に日比谷図書館長を勤め、わが国公共図書館運動の発展に貢献した中田邦造である。
 従来、有山タカシの提唱(1950年前後)にかかるものとされていたが(薬袋:1986)、すでに1939年、「中央図書館協会」の発行する連絡誌において、「一次的機能」と「高次的機能」という表現でまったく同じ内容が語られている(簡略ではあるが)。戦中期に文部官僚として図書館界に参入した有山が、中田ら中央図書館長たちの着想を借りたとみなしてよいであろう。
 改正図書館令(1933)で制定された「中央図書館制度」は、従来、政治体制との関連だけがとりざたされ、事業モデルとしての評価はなおざりにされてきたために、戦後とのつながりが見えづらくなっている。

なんちて(・∀・)

中央図書館制度のほんとうの起源

昭和8年の改正図書館令は、文部省の主導ではぜんぜんなく、図書館界のまともな人々が主導権をにぎってやった図書館振興立法なのである。
が、戦後言説空間のなかで悪の立法とされてしまった。先行文献をみると、多少なりとも複数スジの文献をみて書いているのは清水正三さんだけ
もちろん、
昭和6年

附 「第二線図書館」とは何か

大型館が持つ機能の一部のこと。他館へのバックアップ機能とでも言うべきか。このコトバの使用者たる有山タカシはそのように使っていたのだけど(1950年代)、1960年代に、館全体が第二線機能しかない(つまり直接の貸出しやレファレンスをしない)館と拡大されて受け取られ、実際、それを標榜した県立図書館ができた。でもそれは誤解で、県立の第一線機能(来館貸出や来館レファ)のこともきちんと考えるべきだったよね、というのが薬袋先生の、「第二線図書館」論まとめ(1986)*1なのだ。
このまとめ論文の最初に、「第二線」の語の創出者は有山とされている。

附2 「中央図書館制度」研究展望

悪の中央図書館制度については(・∀・)、まともな研究がないよー。って文献はいくつかあるが、みたところ清水正三さんを論破すればすべての図式が崩れるというかなりヤワい構造に通説は乗っている。以下、重要度順に排列。

清水正三「中央図書館制度とはなにか?:その系譜と疑問点」『図書館雑誌』63(12)(1969.12)
 全国公立図書館長協議会による「図書館法改正」アンケート(1968年末)に「中央図書館制度」を設けることの可否の項目があったことへの反感の表明。ここで同制度はテンから悪の制度となっていて、清水さん的実証の本体は次の文献にある。
清水正三「中央図書館制度についての覚書:戦後の図書館法案にあらわれた中央図書館制度と昭和8年の図書館令改正を中心に」『図書館評論』(6)p.1-6(1967.6)
 ただこれも、考察の半分は戦後3回あったという「「中央図書館的な発想」」(p.5)への批判。
 1)「公共図書館法案」(昭23.12) 法案第22条第2項 「育成」「連絡」 
 2)「図書館法改正草案」(昭和32.12-) 草案第10条の2をうけた文部省令案 「経営についての指導」
 3)「望ましい基準案(図書館法第18条を根拠)」 基準案第4条 「連絡調整」
 清水さんはとにかく「調整」という語はケシカランといっている。
・是枝英子「十五年戦争と図書館員:中田邦造と中央図書館制度・読書会活動をめぐって」 『みんなの図書館』(通号 111) [1986.08]
 史料は『図書館雑誌』のみ。「図雑」を使った事実経過まとめと一般政治情勢の併記。いちおう西崎恵のプラス評価も紹介しているがほかの戦後文献にリファーなし。「たしかに制度としては整備された側面もあったかも知れないが、図書館の生命とも言うべき自由を失っては(略)。図書館網の形成は利用者である住民の要求にもとず〔ママ〕いた市町村と書館の主体的な活動を基盤にしてこそ」(p.40)と。 ただほとんどの文が疑問形で終わっており、著者自身最後に、「しかし、このようなことがなぜ起こったのかについては推測の域を出ない。」と、正直に吐露。
・松永茂「福岡県立図書館における中央図書館制度の受容過程:大田光次館長の文章を読む」『図書館学』(77)(2000)
 当時の月報に掲載された館長の文章の引用と、その文体論的な(!)評価から館長の思想を推論するもの。うーん(´〜`;)。

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*1:薬袋秀樹「第2線図書館」概念の形成--有山嵩の所説を中心に」『図書館学会年報』32(4) p.145〜158 [1986.12]