書物蔵

古本オモシロガリズム

悪の「児童読物浄化令」にそれぞれの「思い」

『出版年鑑』(昭和14年版)のp.83に、昭和13年のこととしてまるまる1ページを使い「子供雑誌の刷新と統制」という記事がある。
それによれば、内務省(大島図書課長、久山事務官)はかねてより標記のことを考えていたが、10/25に識者の懇談会で検討し、10/26には少年少女雑誌13社に、10/27には幼年雑誌30社に「指導方針を示達」したという。
戦後の、民主化=善、戦前=悪のとってもわかりやすい善悪二元論にたてば、

児童読物浄化令とな! 問答無用! 悪なり!

で話がおしまいになっちゃうけど、じつはそんな単純な話ではおわらないところが歴史のオモシロく摩訶不思議なところ。

浄化をすすめたのは「自由主義者

しばらくまえに、浄化される側の赤本屋さんの回顧座談会を読んだけど(「絵本のあゆみ<座談会>編集者の立場からみた」『日本児童文学(臨時増刊絵本)』(1971.12))、今度は、浄化する側からの証言を読んでみた。
読んでみたというか、高円寺古書会館まえでの話をきいた友人Aが文献を紹介してくれたんだけども。
とってもオモシロo(^-^)o
児童読物浄化令は、内務省警保局の官僚、藤田圭雄 (たまお)(1905-1999)が、波多野完治(1905-2001)らの良心派、敵(後述)から言わせれば「自由主義者(これは当時、悪口)」たちに出会ったことからはじまった。
それにあとから文部省社会教育局の官僚が流れ込み、昭和16年あたりまでの「児童読物浄化運動」の流れをつくる。
先週末、たまたま高円寺で拾った『児童文化論』(昭和16)はそのヨスガだったのじゃ。

「児童読物浄化令」の趣旨

内務省が、「よい読物を出しなさい。ついては活字はおおきく、教育的なものを」と言ったわけ。
おおきく「廃止すべき事項」と「編集上の注意事項」にわけられ、それぞれ具体的に数個の項目がある
学問的に重大視されてきたのは、「編集上」のほうの最初にある、

教訓的ならずして教育的たること

という事項。
要するに、何々しちゃダメ、とか、こうすると出世するよ、とか直接かきこむんじゃなくて、間接的にジンワーリと、読んだ側に「内的な気づき」を醸すようなハナシにせい、ということ。
まあ、たしかに、そのほうが教育的かもしれんわな。
わちき的には、「廃止」ん中にある、ふりがな廃止のほうに興味あるけどね。ふりがなを廃止すると、むずかしい漢字が自然に読めるようになる、という現象がなくなる。学校でならったものだけ、ならった後にはじめて読めるようにしかならんの。

精研一派の台頭

ところが、これらの「浄化」はケシカラヌといってきた人たちがおったのじゃ。
んー、「浄化」にイチャモンをつけるとは、かくれ民主主義?
と思ったら(×o×)
波多野のいう「精研一派」がそれなり。精研ってのは国民精神文化研究所ね。
波多野は、戦争のはじまるあたりに精研一派の雑誌の座談会にひっぱりだされ、

精研一派に、イザナギイザナミの国生み神話を信じるか、と聞かれ、そりゃ偉大な想像だと答えたら、史実として信ぜよと言われ、バカバカしくなり口をききたくなくなった(要旨)

という。「神道は祭天の古俗」ってか?
まー、「精研一派」も極端だねぇ。連合軍に禁止された、まさしく「極端なる国家主義」。
でも、わちきは児童書の歴史を本格追及するつもりはないから、あえて言っておくと、

こーいった一方側からの証言はウラ取りする必要がある

ね。
なにも、波多野さんがウソをついているといっているんじゃなくて、どうしても反対派の理論ってのは、そうでない派にはわかりづらい(からバカみたくみえる)、といっているんだわさ。
もちろん、精研一派がただのウルトラ国粋主義者でしかなかった、という結果におわる可能性大なるも、ほんとうの研究者なら、未検証のままなげだされている*1波多野イジメを検証し、そこになにかを発見するチャンスをみるべきなのだ(`・ω・´) って最近は佐藤卓己先生がやっとるね。日本主義研究。

思い

児童文化研究をめぐるスッタモンダは、結局、敗戦でチャラにっちゃうんだけど、ここでは波多野完治の言葉を引いておきたい。

それは一種の統制なんです。統制なんですが、その統制というのは、良心的なものの芽が出る余裕がないほど商業主義―そのころの私どもの言葉を使えば―にひどい目に遭わされているのを、その商業主義を適当におさえることによって良心的なものの芽が出るんじゃないかと、ぼくなんかは考えたんです。

出銭ランドに殺到するディズニーぐるひの日本国民をみたら、なんと思うでせう。

そのやり方がほんとうに正しいか、間違っているかということを調べる前に、戦争勢力でつぶされちゃったんです。そういう勢力でつぶされなければ、ぼくが考えたような良心的なものを育てる方法がうまくいったかもしれないと、ぼくはいまでも思っているんです。八〇歳になってもまだ思っているんですよ。

戦後からみると、一見、悪の権化にしかみえない「児童読物浄化令」に、こんな「思い」があったのだ。
…(*゜-゜) とおい目
一方で。
こんな「思い」をつぶそうとした精研の人々には、どんな「思い」があったのだろうか?

附1.浄化令の法的性格

『日本出版百年史年表』によれば、正式名称は「児童読物ニ関スル指示要項」らし。
当時の出版年鑑が「示達」されたものとしているから、これは、法的なもんじゃなくて「通達行政」の一種と考えるべきだろう(ほんとは示達は役人から役人への指示だけど)。
俗称が(どうやら当時から)「浄化令」なんてカッチョヨイ(おどろおどろし)もんだったから、
省令だか政令だか、法的なもんだと思っている人々もおるが(てか、児童文学関係者は法律オンチなのだのー)、これは、いわゆる「通達」だね。
浄化令が「施行」されたとか「公布」されたとかいう記述がネットにあるけど、法律・命令でないもんを施行はできません。
「いわゆる児童読物浄化令」が「通達された」とか「発せられた」とか「出された」とか、ちがう言葉で逃げるしかないね。

附2.浄化令の先行研究

雑索みたら、やっぱり近年すこしあるみたい。「児童読物改善」で検索すへし

*1:いや、きちんと文献調査をすれば、誰かやっていそうではあるなぁ