帰ったら,博文館新社からダイレクトメールが来ていた。
でも転居してたから転送されて遅れてついたのだけれど。
で,もう3,4年まえの予約は…
生きていた!
安く頒けてくれるとのこと。o(^-^)o ワーイ
でもなんでそんなに喜んでいるのかワカランという向きに。
2005年の大晦日に書いた記事を再掲す。
■[図書館]なんで大橋図書館がワクワクなの?
うん,これは日本で唯一ニューヨークパブリック図書館(NYPL)に「なる可能性があった」図書館なのだ。
だれもはっきり言わんけどね。
・首都級の大都市に存在し,(この次が重要なのだが)
・「私立の」公共図書館。
NYPLがここ数年やたらと人気だけど,あれはやっぱりかなり特殊な条件でしか成立しないもんよ。その条件ってのが上記の2つ。
ところがその2つの条件を満たす図書館が日本にもあったのだ。それが大橋図書館。これは単にメセナ(儲け金のばらまき)で有意義なんじゃなくて,新しいサービスを生み出す源泉になる可能性があった。
役人は,とくに戦後の財政民主主義のもとでは新しい価値にコミットは絶対にできない(政治的イニシャティヴを持ち込めば別だが)。
けど大橋図書館には,役人やくだらぬ会計制度もなく,サービスの開発に専念できたはずなのだわさ。
戦後のどさくさで大橋図書館は実体として滅亡し,それだけでなく言説空間においても,「正しい発展段階」史観に反したアダ花ぐらいにしか扱われなかった。とゆーのも,
公共=公立(かつ直営)
である(orになる)ことが正しいとされた(ここいらへんは京大の森耕一先生の持論だった)からね。
この復刻でおそらく大橋図書館は再認識されることだろう。
言説空間というものも,論の正しさだけじゃなくて,その文献へのアクセスの容易さなどで話が変わってきちゃうからね。