書物蔵

古本オモシロガリズム

ほうしょ月刊にめずらしく図書館本

旧聞に属することでスマンが、『彷書月刊』の最新号に(^-^;)次の本の紹介が。
岡田健蔵君還暦頌徳善本 / 岡田健蔵君還暦頌徳会/編 . -- 岡田健蔵君還暦頌徳会事務所 , 1943
うーむ。図書館本が話題になるってめずらしい。がんばって拾いたいもの。
岡田健蔵は今で言うメセナとして公共図書館をつくったひと。記念論文集もあるし伝記も近年でてる。
いまある公共図書館はほとんど1960年代以降の、標準的な行政サービスとして出来たもんなんだけど、戦前には篤志家が「私立」公共図書館をはじめて、それが「公立」公共図書館になる、って発展形も結構あったのだ。
ただ、いちど「なんでそんなに大橋図書館を持ち上げるの?」(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060612/p1)で述べたことだけど「公共=公立(かつ直営)」になるのが正しい発展とゆーことに日本図書館史学がなっとるんで、公共図書館が私立である意味ってのは考えられてこなかったんだけどね。
むかし、授業で、「ニューヨークパブリック(NYPL)はワタクシ立なんだよ」とおそわってビックリし、のちに大橋図書館のことを知って、「ああ、これってニューヨークと同じだ」と思ったときに、既存の「公立=正しい」論に対する疑念が生じてしまったのだわさ。
もちろん、中小レポ以降の金太郎飴図書館が手っ取り早くシビルミニマムを保証した功績はある、と思うんだけどね。
けど、日本だって米国みたいに、税金逃れやエエ恰好しぃで図書館に金がつぎこまれる、ってことがあってもよかったと思うのだ。
でも、すでに昭和前期の東京日日新聞に「いろんなメセナがあるが、図書館メセナだけは流行らんの。なして(大意)」という投書があるから、大橋図書館ができた明治期と、昭和期ではずいぶん図書館へ対する金持ち達の意識が違くなってしまっていたのかも。
財政会計法的に正しく管理された国公立直営図書館からは、通俗的サービスモデルしか生まれないと予言しておく。