書物蔵

古本オモシロガリズム

全集の功罪:漫画研究の方法論

竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社メチエ)がサントリー学芸賞をとった件について、ブログ界ではちょっとした祭りとなっている模様。
わちきは漫画の末端消費者にすぎんのでその中身はおくとして、ブログを徘徊してたらわちき的にはオモシロな記述を発見す。
白拍子なんとなく夜話

手塚研究の資料として最も使用されるのが手塚治虫全集なんだけど、手塚死後に301巻から刊行が再開する、これが1993年1月。(中略)(それでも未収録作品はあるんだけど)。で、重要なのが手塚のエッセイやインタビューとかの発言録、これも全集に収録されることになる、これが1996年からはじまる。つまりね、少なくとも1996年以前の手塚関連本は、個人の蔵書に頼らざるを得なかったのだ。手塚の発言を引用しようとすれば当時の雑誌やら本やら切抜きやらが必要だった。だから夏目房之介の手塚研究本も竹内オサムのそれも他も含めて、極めて個人的な仕事と言えなくもない。そんな制約の中でもそれなりの仕事を成し遂げているわけだから、評論って仕事も大変なのだ。

全集でマンガ作品以外の手塚語録がようやく一覧できるようになったこと。それでも未収録のもの(作品も)があること。先発のマンガ評論家たちは、全集成立以前から研究してたから個人蔵書に頼らざるをえなかった(だろう)ということが指摘されている。

だけど、竹内一郎のこの本の参考資料はほとんどが全集に寄りかかっている。全集なくしてこの本は書けなかったと断言できる。ていうか、あんた引用しすぎだよ、というくらい頼りきっている。個人の蔵書? なにそれみたいな雰囲気さえある。

うん。
出来合いの「全集」や収集済みの図書館蔵書を、バババッと見て、ササッと書くというのも効率的で結構だけど、そういったやりかたが上手くいかない領域もあるということだぁね。
とくに手塚先生は、言ってることを文字通りには、文字通り受け取れないだけにね。
おそらくは個人蔵書に頼らざるを得なかったろう夏目氏や竹内氏の研究は、むやみとカネやヒマがかかった分の利点があるのでしょう。人文系の研究ってば、自然科学とちがってじっくり文献蒐集するといいことあるかも。
わちきも、じっくりじくじくやるですよ。

別件 マンガ作品における専門図書館

さっき、先週分の週刊マンガをチェックしてきたら細野不二彦電波の城」で、主人公の報道記者が左遷されてテレビ局の資料室に(・∀・)
いやぁ資料室(わちき的には図書館)ってば、やっぱりそうゆーイメージなんですなぁ。
もちろんこのイメージそのものを糾弾しようなどとはつゆ考えず。そんなことよりも。
テレビ局の資料室って専門図書館のなかではかなりしっかりしてそうなのに、あんまり記述されることが少ないなぁと思ったことですよ。特に民放。

別件2 マンガ作品の書誌

本題に戻すと、まともなツールがマンガ研究にはほとんどないわけで。
けど竹内オサム氏の『資料…』とかみると代用になりそうなものが上げられており、これは、とひそかに注目していたら、なんとホンモノの書誌が出たよ。
このまえ東京堂で、『現代漫画博物館:1945-2005』小学館漫画賞事務局 (編集), 竹内 オサム (監修)を見た。
Amazonの内容紹介によれば

漫画史に残る代表作約700作品を、図版、内容紹介、初出・終了データ付で解説

とあるから、事実上の「解題書誌(annoted bibliography)」として使える。これはすごい。まともなマンガ作品の書誌ははじめてでは。