図書館言説をながめていると,実は最近の図書館員は本を読まないのではないかと思えてくる。
図書館雑誌などの記事をみると同主題の先行文献に関するリファー(参照)がほとんどといってない(むかしの記事にはきちんとあったぞ)。
こんど出たある図書館本も,まったく先行文献のリファーがない。10年もまえに書かれていたことを業界初であるかのようにくり返してる…
この人たちは神様から直接いろいろ教えてもらうんだろーなぁ,と皮肉のひとつもいいたくなる。
そんな人たちにリファレンス業務なんてできるのかしらん。
自分の言説に対するスタンスとしては,かならず他の言説を引用するようにしたいと常々考えてる(たとえ反対説やトンデモ説であっても)。個人が直接認識できることなんてほんのちょっとだ。
もちろん,「自分が現に見た」と思っていることさえ,自分がいままでに身につけたメガネで見てるんだし… せめて自分が何色のメガネをかけているのかをわきまえておきたいもの。ある人は白いかもしれんし,別の人は赤いかもしれん(紅かな?)。わたしゃどーも最近,白っぽくなってる気がするけど(中国図書館学用語「白専」)。
ま,図書館員が不勉強だとゆーのも論理的必然性があるとは思うぞ。
なぞなぞ「図書館がひらいている時,絶対に図書館に行かない…
とゆーのも。
こんななぞなぞを思いついた。
図書館がひらいている時,絶対に図書館に行かない人ってだーれ
答えは図書館員(^-^*)
行かないというより,行けない。
で,図書館員が図書館に利用者として行ける時間は,図書館が閉まってる時間というわけ。
これは論理上正しいんで,実態調査なんかしなくても答えがでてしまう類の設問なのだ。
本を読めない図書館員はバカになる
んで,自然科学的な事象はともかく,人文・社会系のことがらって多分にトンデモになってしまいがち。これに対する唯一の処方は,リファーの森,っちゅうか文献引用の網の目んなかに自説をすえてみる以外にない。できればその網はひろい方がいい。コンラート・ゲスナーの世界書誌ですな。
では構造的に図書館所蔵本を読めない図書館員なる人種が,バカにならない道はあるのか?
イチバンの近道は本屋ね。
けど実は本屋に通う図書館員ってあんま知らないなぁ。
あ,だからみんな神様から直接教わっちゃうのか。
ネット上の言説に,多分にトンチンカンなのが多いのは,自分の見たまま聞いたままを素直に出しすぎなのだわさ。
紙メディアの場合には最低限でも途中に他人が入ってくるからねぇ。
あるとこである図書館のあるネットちらしのオバカな表現を聞いてあきれる
ある勉強会であきれたリファレンス論を
これでも昔は勉強会なんかにもでてたのだ。うーん,マジメだのぅわちき。
で,ある勉強会で心底あきれた言説を聞いたのを思い出した。
その人はリファレンス担当がしこしこ文献にあたるのがバカバカしいのだという。
文献にあたるより関係部署に電話をかければいいのだと。
いや,ほんとあきれた。
いそがしい相手がなにを喜んでたかが一図書館員に電話で回答なんかすんの? だいたい通り一遍の回答がくればいいほうで,そこが抱えてる問題点とか客観的事実なんてもんはなかなか電話なんかじゃ出てきやしませんがな。
レフェラルサービスとかで電話を活用すんのは結構だけど,リファレンス(リファーすること)の本質には資料があると思う。その資料のご加護がある時だけ,図書館員は後光が差すのじゃ(資料の七光り)。
同席していた友人Cがそれを聞いて素直にプリプリ怒っていたのを思い出すよ。
ま,もー何年もたつのにその人の顔をみるたんびに思い出す自分も,そーとーにプリプリしてたんですねぇ(^-^*)