書物蔵

古本オモシロガリズム

乙部(おつぶ)について(つづき)

部屋の整理してたら友人からもらったコピーがでてきた。しばらくまえに書いたもん(乙部図書館史の教訓)の根拠となる部分。
岡田先生を囲んで / 岡田温先生喜寿記念会. -- 岡田温先生喜寿記念会, 1979.6. -- (図書館の歴史と創造 ; 1)
これのp.16-17で,旧・帝国図書館長を囲んで元館員やら国会図書館員(当時)やらが談話をしてる…

岡田 松本館長の前の田中稲城館長は「稗史小説のようなものは士君子の読むものではない」という考えの方だったので,その種のものはずっと乙部に入れてたんです。(略)戦後になって(略)整理を始めましたが,あの時は上野(図書館)の乙の方からはだいぶいい本がでてきたんでしょう。
石黒 (略)逆に日の目を見なかったからこそ現在にまで完全なすがたで伝えられた。つまり保存図書館の妙味を発揮したという面もあるんですよ(略)
宮坂 (略)むしろ甲(甲部)にあったものが全部だめなんですよ。
石黒 あれも製本して図書館流の改装をしたり妙な表紙をつけたり……。だからもとのままで,発行された当時の姿のままで保存されたということで,あの乙の制度というものもそういう点で怪我の功名的な……。
木原 乙部といってもちゃんと担当の人がいてカードをとっていました。原簿を見れば何が入っているかが分かる……。
石黒 乙部の原簿をつけまして,それから書架目録をつくってありますし……。
丸山 閲覧目録はないんですね。
石黒 ええ,閲覧はさせないが保存はしておくと,そして最小限の仕事はやっているんです。
木原 ただそれも昭和一七年頃できれちゃったんじゃないですか。戦争がひどくなるちょっと前ぐらいに,担当の人がいなくなってしまいましてね。肥塚さんというお年よりがいましてね。

甲部のほうは,カレントなユーザの「消費的読書」に投入されてすりつぶした……。
けど乙部は,田中館長の明確な「価値論」や,帝国図書館の「絶対的窮乏」という偶然にささえられて残ったってわけ。まさしく怪我の功名ですな。