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恋愛と図書館

恋愛と図書館

かなりムリのあるお題ですが…
萌え萌えの,じゃなかた新芽が萌えいづる春ですし,先日テンプレ(テンプレート:ブログの意匠)を変えたのは失恋の所為?とのコメントにも触発されたので。
まず… 図書館そのものが恋愛することについて(笑)。
図書館という組織体が恋愛できるのかって? できます(笑)

図書館が恋愛

専門図書館として「恋愛図書館」なるものが成立するれば,それはまさしく「図書館が恋愛をやっている」ことにはなりましょう。
ですがこれはなかなかにムツカシイ。というのも,恋愛というのは説明知よりも遂行知のほうが絶対的に重要であるうえ,恋愛を研究対象にする学問(説明知)もむずいからです。
恋愛を主題としている学問分野は,文学,歴史学社会学倫理学,心理学といったところでしょうか。
ところが,歴史学社会学などの領域で,恋愛を研究するのはかなりむずかしい。それに結局のところ,もとの資料を文学という領域(随筆やノベル)で記述された恋愛にもとめることになります。
倫理学(とくに通俗倫理学)や心理学(とくに通俗心理学)は好んで恋愛をテーマにとりあげますが,これはどれもこれもどーしようもないものばかり。ト学界のネタにはなりますが,まじめな研究にはなりずらい。
でも,どーしてもそれ系でしっかりした本が欲しいという方のために紹介しましょう通俗恋愛指南本でしっかりしたものを。

これは浅羽通明だったかが紹介していたもの(の文庫版)。これはイイです。すばらしいです。特に今,独身ないし彼女のいない方(残念ながら男性向けの本です)。
実は,恋愛をもっとも的確に記述できるのは文学だとは思うのですが,これはこれでとりとめがない。というのも,文学って(古代の叙事詩などを別にすれば),その大半が恋愛文学ではありますまいか。

これも,上野千鶴子に噛みつくなど著者は一見,社会学的な言辞をろうしていますが,ぎりぎり文学評論ではないかと出版当時,判断したことを憶えています。
ちなみに,上野センセはかなりの恋愛強者と私はみてます。二村ヒトシ氏の本が,どちらかといえば恋愛弱者のためのものであるのに,その(文庫版の)解説を上野センセがやっていたので,えらく腹がたった記憶があります。
いまでこそ上野センセはあゝだが,若いコロは結構かわいいぞ(としばらく前の朝日読書欄の写真をみて思った)。若いということはおそろしいことなり。
結局,
恋愛図書館≒文学館
になるというのが,私の暫定的答え(笑) なーんだ,それなら全国各地にあるじゃないの。
などとふっておいて…
「図書館が恋愛してるとはいえないじゃないの」というツッコミもきそうですね。。じゃ,なにが恋愛するのかといえば…
そう,あなたはアタマがイイ! 人間がするのです。

図書館で恋愛

図書館員や利用者(閲覧者,ここではお客)です,恋愛するのは。佳境に入ってきましたね。ドキドキ
まず恋愛の主体についてです。いちばん夢想しやすいのが,館員とお客ですね。きっと図書館がらみでノベルを書けば,このケースがいちばん物語として書きやすいのではないかと思いますが,これは,ありがちのようでいて,残念ながら,現実にはナイです。
たしかに利用者が対応してくれた図書館員に(あるいはその逆)恋心をいだいたということは何度か耳にしたことがありますが,それが具体的な恋愛関係まで発展したという事例はほぼないといっていいでしょう。
大昔には確かにそーゆー事例もあったみたいですが,現在の館員もお客も忙しい環境では,カウンター越しに恋を実らせることはできないと思いますよ。
むしろ大いにあるのは館員同士ということになりましょうか。これについては事例も多いです。もちろんめでたくゴールインするとはかぎりませんが(笑)。まぁフツーの職場と同じじゃないでしょうか。一緒に働くとその人の良いところ悪いところがよくみえます(できれば同じ係がよい)。
「あのひと素敵よねー」or「あのひと非道い人よねー」などと言われる人も,いっしょに働いてみると結構,逆のことがありますから。ひとつだけ経験則をいうと,いい評判ばかりの(orわるい評判がない)ひとには注意しませう。ババを他部署に廻すために自然発生的箝口令がしかれている場合があります。人事異動はババ抜きというのが,わたしの持論です。
えーっと次に…,そうそうお客同士
これも,まあ,ないでしょう。2ちゃんねるなどに「図書館でナンパ」のスレなどもあるようですが,これは街頭でのナンパに近いものがありますよ。ただ,すでに恋愛関係にあるご両人がお客として登館するということは,とてもひんぱんにあることだと思います。
ここでは参考として,古書店でアベックはとてもいやがられるという話を紹介しておきましょう。お店からもお客からも。
男がしたり顔で女に書籍等の講釈をさんざんしたうえで,さらに買ってくれない,という記述を(いくつか,たしか志多三郎の本で)よんだ憶えがありますし,私自身,お客として現にそのような場にこのまえ居あわせ,大変に迷惑でした。興居島屋(ごごしまや;西荻) でのことです。
まーわたしは別にイチャイチャしても半可通でもかまわないんすが(そう思いたい),その恋愛は認識錯誤をともなうもんなんで,相思相愛だとまわりが見えなくなってしまいます。棚の本をみたいのに頑としてそこから動いてくれないのが困ったこまった。
まぁ図書館でデート(逢い引き)というのも美しい話とは思いますが,あまり喜ばない館員もいることでしょう。わたしはデート場所として使える図書館なんて素敵だと思いますが,それにふさわしい内装・蔵書のところは知りません。

図書館で○愛

ところで第三者が,2個体が恋愛関係にあるか否かを識別するのにはどうすればいいでしょう。
ココロのなかを覗いてみるわけにはいきませんので,具体的行動からみるしかありませんね。まぁ行動といってもいろいろあるでしょうが,ここではわかりやすい議論をしたいので,性愛行動を指標としたいなと。
ところで,昭和前期に日本人がどのような場所(空間)で性愛行動におよんでいたのか知っていますか。この問題については,次の本がとても参考になります。もちろん,遊郭ではそのようなものが公認されていたのですがクロートなわけで,シロート同士がどこでするのかという問題については,不明のままだったわけです。

「○○屋の2階」だそうです。
で,いまではどこでも可なわけで(法令上のことを言っているのではなく,慣例上のことです),図書館も例外ではありません。これがホントの図書館で恋愛(笑)。
で,これについての文献があるのです。

全体としてはさまざまな利用者の問題行動をあつかった本で,そのなかの1章に「性行動」があります(記述はすくないが)。さすが米国図書館学です。懐(ふところ)がひろいというか,層があついというか。論すべきことはひととおり議論になる。
その点,日本図書館学はダメダメ。米人の議論が本になって翻訳されないと問題として認識できない。いったいどこに目がついているのか。ある図書館経営の教科書で,問題行動について章をたてたのはよいけれど,それがまるまる米人の議論の焼き直しだったのにはあきれた。それも元ネタは1986年の『現代の図書館』の翻訳特集。そんなに米人の議論がアリガタイのなら,へたに独自の教科書なぞ作らず,米国の教科書をそのまま翻訳すりゃあいい。
で,「図書館で性愛」については米国の事例だけしかなくて,まだ日本の事例は活字になってませんねー
さてソコデ,読者の方々のために出血大サービスをいたしませう。
本邦初!「図書館で性愛」!事例と考察ですよ〜
(つづく)これについては稿を改めて。乞うご期待!