書物蔵

古本オモシロガリズム

ぴょんちゃん

書物蔵さんって、自分で言えない悪口を、他人が言ってると、うれしくなって引用するよね(σ^〜^)

と、きのふMさんにいはれ、ハッとなる。
んー、たしかにその面も、ある(;´▽`A``
ただ、「自分で言えない」には2つの側面があって、さやうなる表現形をおもいつかない、という文学的スキルに対する純粋なあこがれ(悪口がうまいのは書誌学者、谷沢永一ぢゃった)がまずある。それとあとは、わちきの、そのー、なんといふか、ポライトネスちゅーのかのぅ、いやサ、むしろダブル・シンク(double think;二重思考)のせいと思ふてくれい。
感じると同時に、これは考えちゃ(感じちゃ)いけぬことだのぅ、という考えが働き、すなほに表現でけん(*´д`)ノ

リックさんがぴょんちゃんに言ったこと

世界最先端の情報革命中の米帝の、大学・研究図書館ん中でも有能な司書・館長を呼んで、

米国の図書館状況はかくかくしかじか。「選書」にコアコンピタンスがなくなりつつある。わちきらだって試行錯誤中で生き残りをかけて右往左往してンだから、あんたらも、自分で考えな。ただ、先駆的な成功例や、わちきらの考え方は同業のよしみでさらしてやっから

と、ありがたーい講話があったのぢゃが。
最後の5分に、質疑という名の、日本人の学会でよくある発表内容と連動しない意見表明がぴょんちゃんからあったのだった。
それはこのやうなもの(´・ω・)ノ

ボクは誇りをもって選書してきました

という頓珍漢な質問もどき意見表明。
わちきがその場にいたら、最後の5分に、なんとバカな、と感じたろうけど、同時に、さやうなるお下品な思考は、べつの代替物によって上書きされてしまったであらう(ポライトな日本人なので)。
でも、壇上の米人は、米人らしいフランクネスさ、ちゅーか、ある種の誠実さで、こう返してくれたのだった。

あなたは、消えるだろう

と。
これがΣ(゜∀゜;)アヒャヒャでなくてなんであらうか。わちきはリックさんが米人でよかったと思うよ。ニフォン人なら、「それはすばらしいことだ。これかもがんばってね」と議論の論理展開とはまったくサカサのコトバで迎合してしまったことでせう(*´д`)ノ