書物蔵

古本オモシロガリズム

1911年前後、神保町の古本屋露店配置と、中西屋の二階


『かんだ』141号(平成7年12月)に、木内武郷(神保町のカバン店「レオ マカラズヤ」三代目)が「神田の青春ありやなしや」という記事を書いている中に、これは家に伝承されたものであろう「昭和12年12月、駿河台下すずらん通り、歳末大売り出しの飾り」と題された写真が掲げられている。これを見ると、すずらん通りの夜店が北側寄りに並んでいたのではないかと思われるが。
しかし、一方で、永井龍男の小説「手袋のかたっぽ」で、作中人物が明治末から大正初め、ニコライ堂付属神学校の生徒だった時代のこととして、こんな回想をしている。

今川焼き屋の隣りから、両側とも殆ど全部の夜店が古本屋ばかり、あれを端から克明に見てゆく。〜
 四ツ角まで言つて右へ、神保町の停留場の方へ曲つて、今度は逆に、右側にずらりと並んだ電車通りの古本屋を駿河台下へ向いて見て行く

dl.ndl.go.jp
こうしてみると、歳末大売り出しは普段の夜店でなく店持ちが露店を出した可能性もあるなぁ。

中西屋の二階

おなじ「手袋のかたっぽ」で、やはり同じ作中人物が中西屋でブレークの画集を立ち読みする場面がある。正確にいうと、毎日立ち読みして「一週間もたつて居たらうか、いつものやうに午後其処へ行くと、無いんですよ。」と。作中人物の述べるタイトルからいうと次の本らしいが、
William Blake a study of his life and art work / Irene Langridge. London: George Bell and Sons 1904
してみると、1911年頃というよりもちっと前かな? いや中西屋は丸善のデッドストックを売る場所だからこれでいいのか?
それはともかく。

やがて、冷酷な顔をした店員が、二人並んで大きな書棚の前に腰をかけ、こつちを見てゐる。僕は二三歩その方へつかつかと行きかけて、はつとして踵を返した。意気込んで、あの本をどうしたと訊くつもりだつた。私は顔をあからめ、足早で、出来れば駆け出したい気で、夢中で階段を下りた。(p.140)

鹿島先生の『神田神保町書肆街考』にある中西屋の項でもちゃんと「手袋のかたっぽ」は長めに引用されているんだが、この、階段を下りた部分は先生の表現になっていた。(鹿島、2017、p.134)
明治年間の、本屋内部の写真というのは僅少なのだが、珍しくも中西屋のものは『本の街』(80)(1987.6)で紹介されていた。この写真から、中西屋は土間式で陳列式になっているが、完全開架ではなく、ガラスの戸がはまっていることがわかる。中西屋の二階の棚にガラス戸がはまっていたかどうか定かでないが、作中人物の行動からするに、少なくとも鍵はかかっていなかった可能性が大きい。