書物蔵

古本オモシロガリズム

書き講談、いわゆる講談本の研究について

ネットで〈書き講談〉すなわち〈講談本〉をUPしている人がいた。これは昭和期みたい。


いま、庶民の読書というと、小説を載せた文庫本を無意識的に想定してしまう。しかし、文庫本というのは通説では昭和2年あたりに大正15年から昭和4年あたりまで大流行した
〈円本〉(一円本、円助本とも)全集に反発して岩波茂雄がこしらえたパブリッシャーズ・シリーズなのである。我々の出版物に関する常識は、実は昭和初年あたりから始まっていて、それは戦中期に「日本出版配給(株)」の成立で完成した「通常ルート」ってヤツ(さすがに「取次ルート」と言い換えられた)――いま滅びかかっている流通チャンネル――とセットで成立した昭和前期体制といってよい。
では、それ以前、庶民は読書をしていなかったのかと言えば、もちろんそうではない。明治末に女性の小学校進学率が9割を越え、何を読んでいたのかわからんが、全国民が一応読める〈読書公衆〉(reading public)が日本開闢以来初めて出現していた。
だから少なくとも大正期には〈みんなが読める〉状況になっていた。だからこそ大正末〈円本〉昭和初年〈文庫本〉の爆発的普及があったのだ。
しかし、逆にいうと、円本・文庫本に先立つ読書材があったはずなのだ。
では大正期の庶民、そして先行して都市民の中流、庶民はいったい何を読んでいたのだろうか。
講談である。書かれた講談の〈書き講談〉、いうところの〈講談本〉である。
ところがこの講談本の文学史上、出版史上の価値・意義について気づかれたのが、1990年代らしく、ちょっと遅すぎた。
早逝した中込, 重明, 1965-2004はこのように言う。

しかし,ここにとんだツケが回ってくる。冒頭,橋本氏の文を引いたが,講談本を 読むどころか,手に入れるのが難しいのである。吉川栄治は,上方講談本を貸本屋内の読書で済ませたという,というのもなぜ家で読まないかといえば,義兄に見られても母に見つかっても叱られるに極っている本だったからである」(『忘れ残りの記』文芸春秋新社 1957年刊)

  • 中込重明「講談本の研究について 付 講談登場人物索引,講談小題・異名索引」『参考書誌研究』 (53) 2000-10 p.58~96

研究

上記によると次の2人の著作が重要。

  • 明治期大阪の演芸速記本基礎研究 / 三代目旭堂小南陵 著. たる出版, 1994.8
  • 講談明治期速記本集覧 : 付落語・浪花節 / 吉沢英明編著. 吉沢英明, 1995.4. 413p 21cm

オタどんも持っているとぞ