書物蔵

古本オモシロガリズム

日本帝国は、仁愛と信義に生き、世界人類の平和と進歩に貢献せよ

ん?(・ω・。)
わちきのことばぢゃない(・∀・`;)
かの上森シテツの言葉。

  • 上森子鐵「映畫法廢棄の提唱」『新映画』2(4)pp2〜4(1945-09)

〜いまやわれらが日本帝国は、武器なき国家として、祖国の興隆は民族の英知によって、仁愛と信義に生きもって世界人類の平和と進歩に貢献して、国の誉れと民族の精粋を発揮すべき大道闊歩の天運にある。このときになほ、創造の英知を固縛するがごとき、芸術の分野における日本唯一の単独法、創造の自由への干渉法規たる映画法を撤廃することは、芸術への尊敬でもあり、ポツダム宣言履行の国家信義、民主主義への道の表現であると断ずるに躊躇するものでない。〜
(九月十七日)

3ページにもわたって、あまり具体的な言葉がないのも、上森らしくってイイo(^-^)o
それよか問題は分析書誌的なところにあって

表紙

表紙の印刷は次のようになっている。

新映画9
日本映画出版株式会社発行 
昭和七年四月十四日第三種郵便物認可(毎月一回一日発行)
昭和二十年九月一日発行(第二巻・第四号)

んで、おもしろいのは次の受入印3つが押されとること。

「納本/21.7.1/帝国図書館
内務省/20.12.4/(普通出版)」
「82」

最初の2つは○に横棒二本の丸印で、それぞれの受入印、受理印。さいごの「82」は不明なれど、昭和ヒトケタ期の単行本の事例から考えるに、おそらく内務省で受入順に押したものと思われ。

実際の巻号(月号)と発行日と発売日

(表紙の)月号と(法的)発行日や(流通上の)発売日がズレる話はなんどかしたっけか。
戦中期に一度、戦時統制で整理されるのだけれど、昭和20年3月以降、東京が焼野原になったこともあり、めちゃくちゃになっていく。

3.9 東京大空襲により日本出版配給統制株式会社の倉庫が炎上し,教科書305万冊その他が罹災.出版統制に加えて大空襲は各方面に大被害を与え,以後,出版機能はいよいよ低下し,雑誌の減ページ・合併号・発行遅延・発行不能・休廃刊などがますます増加.
デジタル版日本出版百年史年表

なにが、ほんとうはいつ買える状態になってたかは、じつは個別につきとめるしかない。
そのいい見本がこれぢゃ。
上森の文章には最後に書いた日付がはいっている。すなわち9月17日。で、年は内容からいって1945年に相違ない。そもそも内務省受理印にいう「普通出版物」たる雑誌は、出版法によって発行される学術技芸の雑誌であって、法律の改廃などさけぶような「時事」の記事を掲載することは禁じられとるからね。上森の記事を出版社がそのまま載せたということは、これは出版法が効力をうしなったと出版社が認識していたとゆーこと。
つまり、表紙などに印刷されている法定文字の日付はまるごと実態とはズレているということがわかる。
じゃあ9月の後半に発行・発売されたのかというと、内務省の受理印から、どうやら3か月遅れだったことがわかる。まあ、図書館で利用可能になったのはさらに半年以上先のようであるが。
面白いのは明治30年代以来途絶えていた雑誌の内務省→帝国図の移管が復活しとるとこ。これは形態上、明らかに雑誌であるからして。
またささいなことだが、帝国図の受入れ印にある「納本」というのが、どうやら内務省への納本を表しているらしい*1こと。帝国図の伝統では、内務省→帝国図の本は、「内務省交付」であったから、これは時期的に新しくこうなったものか、それとも特殊な場合にこうなったものか。
いずれにしてもオモシロき事例o(^-^)o

おまけ

裏表紙(表4)

昭和七年四月十四日第三種郵便物認可/(毎月一回一日発行)
昭和廿年八月二十日印刷
昭和廿年九月一日発行

発行所/東京都淀橋区下落合四ノ二〇八〇/日本映画出版株式会社/(会員番号二二四五八〓)/電話番号落合長崎(95)二三四八

以下略

*1:うーん、これは、必ずしもそうとはいえないきがしてきた。