書物蔵

古本オモシロガリズム

痕跡を分析する:近代書誌学ことはじめ―石川達三「生きてゐる兵隊」初出号から

さういへば、とて、こんなん、読んでみた。

  • 牧義之「石川達三「生きてゐる兵隊」誌面の削除に見るテキストのヴァリアント」『中京国文学』v.28, 2009, p.43-p.55

ネットでも読めるよん(*´∀`*)
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/handle/2237/14470
「生きてゐる兵隊」といふのは、知っているかもしらんけど、第二次南京事件といふか、支那における蝗軍の蛮行を実録風に描いた小説で、当時、発禁になったもの。ただこの発禁号、発禁の恐れを中公編集部は十分にわかっておったので、刷っている途中で伏字をどんどん増やした。んで、伏字を増やしたたんびに違うヴァージョンができちまったというわけ。この論文は先行論文をひきつつそのいろんなバージョンにどんなものがあるかという研究をまとめたもの。
で、これを読んでいたら49ページに誤認を見つけたので指摘してみむ(。・_・。)ノ
まあ、わちきがつっこめるのは書誌学的な側面だけなんだけどね(σ^〜^)
かんじんの本論は、次の研究が先行文献らしい。こんどどっかでゲットしてみんべか。ま、わちきは文学音痴なんだけどね(;´▽`A``

それはともかく、書誌学書誌学ヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ

問題点2つ

49ページ上段で問題点は2つあって。
ひとつめ。

「新聞紙法」では、初めに確認した様に内務省には発行と同時に二部雑誌を納本することが定められているが、この内一部は当時の帝国図書館に〈交付〉という形で検間を経た後に移管される

いやこれはよくある誤認で。
ってか、1980年代までどうやらみんな誤認していた*1みたいなのだが、じつは明治34年に事件が起きて、それまで帝国図書館に移管(当時は「交付」といった)されていた雑誌の副本が移管されないようになったというのだ。だから「生きてゐる兵隊」が出た昭和13年には中央公論の納本副本も移管されていなかったとみるべきなのぢゃ。
それから二つ目。

帝国図書館本の〕表紙には、他の号には無い「購入印」が押されていて、問題箇所がその上に手書きで記され、さらに左上には「キ5-48(54)」と記されている。「キ」は恐らく禁止の「キ」であると思われるが

ん?(・ω・。) これはちと違うのでは(。・_・。)ノ 「キ5-48(54)」おそらく戦後に書かれたもの(´∀` )
ひとつめについてはまあ、ふたつめより単純な話だからおいといて、ふたつめをこのエントリで簡単に説明してみん。ってか、ほんとだったらこれだけでちょっとした小論になっちまふんだケド、てきぎ端折ってカキコすべ。まあ帝国図書館本は単行本についちゃあ少し知識もあるけど、雑誌や新聞については実ㇵあまり自信がないのだけどねc(≧∇≦*)ゝアチャー

マイクロ化:第一の落とし穴

まづは有名なこれ

帝国図書館本の表紙をゲットせむ。
と思ったら。。。
えー(・∀・`;)、マイクロかぁ(´゚д゚`)アチャー
帝国図書館本はいま国会に引き継がれたはずなのだが今、中央公論を総覧することがでけん。ってなしてかってか。ちゃんと(?)マイクロフィッシュで見られるぢゃんかってか(・∀・`;)
まあせうがないので、これのマイクロ(現物はどこへ行ったのやら)を見たら(めんどくさ)、なんか不思議。
このフシギ感はどっから来とるのか考へてみらバ、この号の表紙だけごちゃごちゃと古汚いのに前後の号の表紙がキレイキレイなとこからきとるらすぃーのだ。牧論文では当該号だけを後から買い足したとしているが、実は当該号以外がそもそも帝国本を撮影したものではないらすぃー( ・ o ・ ;)
で、あわててマイクロフィッシュの先頭を見ると、中央公論社協力とある。
これはどーゆーふーに解釈すればよいか。。。
おそらく、当該号のみ帝国図書館本(購入本)で、あとは、おそらく中央公論社本、そして貴族院本ばかりが映ってをったのぢゃ(´゚д゚`)アチャー
どうやら「図書館破壊学」が提起された1980年代に*2あそこがさかんにマイクロを創った際、図書館「資料」の「史料」的価値に気付かずに、「テキストがきれいに見られればイイヨネ( -Д-)ノ*3」とて、中央公論社本やら貴族院本やらを集めて撮影したものらしいのぢゃ(#+_+) これぢゃあ、帝国図書館の史料として使へないよ。。。(´ヘ`;)とほほ
?(・ω・。)
当該号が帝図本だからいいぢゃんか、ってか(´゚д゚`)
ノン、断じてノンなり!`・ω・´)o
だって、前後のノーマルに受入られた号と比べて、どんなところが違うのかがわからんぢゃないの。中公本はそもそも蔵書印もなにもなくてキレイキレイ。貴族院本は、こりゃ、一般市販本の別の例にはなっても、帝国本とは無関係だわさ。前後の号との差異から戦前におけるなんらかの意味を引き出すことができないわな。むしろ同時代の貴族院や戦後の中央公論社には発禁号がなかったということの証明にはなるけれど。
かやうに見れバ、「研究」特に書誌学的なものには原本が見られる閲覧体制が必要だったり、媒体変換時に原本の来歴がわかることがきはめて重要であることがわからうといふもんぢゃないの。

帝国本の印記と痕跡

しょーもないけれど、とりあへず当該の帝国本を見てみる。じつは表紙の印記の解釈には、それ以外の痕跡もひととおりさらわないと解釈がでけんので、表紙以外の痕跡もメモしてみた。

表紙(左の画像)

1) 右上ぎりぎり:帝国図ラベル(補修で読めない)おそらく14)と同じもの
2) 〃帝国図ラベルの下:「発売禁止」の縦長小印の下半分 15〜17)と同じもの
3) 〃(発売禁止)の下:「本欄(一五九−一六〇頁)/創作欄(全部)削除」とペン書き
4) 中央題字上にかかった部分:帝国図書館蔵書印
5) 右下:「購入/13.2.2〓〔3か〕/帝国図書館」大マル印(おそらく青色)
6) 下中央:「一四・八・一〇製本/帝図」小マル印(受入れ印、おそらく朱色)
7) 左上ぎりぎり:「32-853」(これは表4にもある数字)とエンピツ書き
8) 左上:「キ5-48(54)」とおそらく濃いめのエンピツかシャープペン
9) 右下:「564」というナンバリング(左図では作業ミスで下半分以上切れた)おそらくマイクロ撮影時のもの
9-a)右端のヘリ補修の紙(和紙か)

本文開始ページ(画像なし)

10) 帝国図書館蔵書印
11) 「昭和十三・三・廿四・購入」小マル印(受入れ印)
12) 上記受入印をペンで「×」「〓.〓.20」とペン書き

表3(画像なし)

13) 帝国図ラベル「禁函/ /チ05」(ハンコ。チのみペン書き)

表4(画像なし)

14) 「32-853」とエンピツ書き

その他(画像なし)

15)p.本欄159上「発売禁止」の縦長印
16)p.本欄160上「発売禁止」の縦長印
17)p.創作欄1上「発売禁止」の縦長印
18)禁止原因の該当ページは破り取られず残っている。

さて、これをどう見るかぢゃが。

解釈に必要な予備知識と準拠枠組み

じつはこれ、これだけ見てても解釈でけないのぢゃ。われわれのまへには、これらの痕跡が同じ表面に展開されて見えてしまふが、これらはそれぞれ、発生時期がちがふのぢゃ。
いったいこの17個の痕跡がどの段階で発生したのかを考えるには、図書館員ならだれでもしっとる資料処理のプロセスをもとにつくった、次のような枠をあてはめてみむ。

図書館所蔵本、痕跡発生順準拠枠

 出版段階:印刷所、取次、書店
 図書館
  受入:蔵書印、受入印
  整理:ラベル貼
  閲覧:落書きなど
  再整理:分類変更など
  保管:製本
  メディア変換
   マイクロ作業:原本コマ撮り、リール/フィッシュ作成
   電子化作業 ?
 現在の閲覧・複写:複写業者や自分のメモなど

はあ、めんどくさ。論理上は上記のすべての段階でなんらかの痕跡が発生してしまふ。てか、これでもぜんぜん漏れがあるでせうよ(。・_・。)ノ
で、この枠組みに痕跡をほうりこんでみる。

 出版段階:印刷所、取次、書店
 図書館
  受入:蔵書印、受入印、隠し印 5、11、12、4、10
  整理:ラベル貼
  閲覧:落書きなど
  再整理:分類変更など 6、2、3、15、16、17、1、13、
  保管:製本、補修、再製本 7、14、8、9-a
  メディア変換
   マイクロ作業:原本コマ撮り、リール/フィッシュ作成 9
   電子化作業 ?
 現在の閲覧・複写

はぁはぁ、ちかれたびー(~o~)
けっきょっく、「キ5-48(54)」は製本時のメモ書きではないかと思う。理由はいくつかあるが、帝国図書館の「禁止函」(発禁本などの排架分類)としては、「禁函ーチ05」が記号だということが明らかということかな。

わかりやすく再現

昭和13年
2/17(木)これ以前から遠隔地から配本開始。大陸などへも発送。
2/18(金)3月号が納本される 内務省発禁決定。夜6時〜8時、内務省から中央公論社へ電話。内務省、警視庁に差押え示達。中公編集部、新聞広告差し替え指示。中公編集部は「分割還付」願いを内務省に提出(分割還付が許されるだろうという記事が朝日19付朝刊にあるので18日中に願い出たのは確実)。
2/19(土)発売日(=現物奥付の印刷日)19付朝刊に3月号広告「創作に事故あり〜近日発売〜」 警視庁が印刷所、出版社、取次等にある3月号を差押え始める。
2/20(日)
2/21(月)
2/22(火)夜、石川達三が書店に削除改訂版?が並んでいるのを見る
2/23(水)当該3月号が書店から帝国図書館に到着(郵送か?)(明治30年代以降、新聞・雑誌は寄贈、購入で収集していた)。受理印5)をポカリと押印。
2/24(木)「雑54-37」へ排架 中央公論社、この日の新聞に削除改訂版が発売と広告
2/2?(?)「検閲週報」が図書館へ。司書があわてて3月号を別置し対応を検討。図書館としてはこの個体は削除せずまるまる保管することに決定。そこで禁函として再整理。「検閲週報」を見ながら押印書込み。ラベル貼り。これ1冊だけで長期保管することになるので製本時と同様に、表紙・本文ページ最初に蔵書印を押印。受理印を見ながら受入印を押印したが、なにかの都合で2/20にペン書き訂正。 
昭和14年
8/10 この号1冊分だけで製本。受入印(製本)を押印。

しかしこうしてみると、削除改訂版が帝国図書館で閲覧に供されていたとみるべきである。それはどこいっちゃったのかしらん。

この事例からわかること

日本古典書誌学なるものは、岩波からでっかい専門辞典が出るぐらい成立しとるけど、日本近代書誌学がまだほとんど未成立だということ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070524/p1

*2:この論文。http://ci.nii.ac.jp/naid/40002719756 ようするに国会に近県国文学科の学生が押し寄せてコピーしまくり雑誌が物理的に損耗しちまう、という悲鳴。酸性紙以前に保存論を提起。面白い論文なれど注記に奇矯なことが書いてある。よくこんなんが組織の出版物に載ったなぁ。って、原文はなかなか読めないよーとMさんがいふので、ひとつだけ書くと、調査マンがだま借りをするとある(゚∀゚ )アヒャ こんなゴシップ満載ぢゃ(≧∇≦)ノ これ以上はとてもここには書けぬ(゜〜゜)ってか、あそこの連中、1980年代のかやうなる日本の組織離れした言説空間が資料保存論のバブルをうんだのだなぁ。。。 

*3:当時としては必ずしも誤りではない。もちろん、帝国図書館本の現物が見られるとい体制がセットならば、ば、という限定的正しさ。