書物蔵

古本オモシロガリズム

林房雄『獄中記』初版のフシギな来歴:「納本」ッて何さ

出版ニュース」2012.12下に木本至氏が「著者署名本との出会い(古書)」とて、上森子鉄宛ての林房雄『獄中記』(改訂再版、昭15.6.1)を所蔵していることを述べている。これは戦後のことだけれども、木本氏は「上森は、竹中労キネ旬と闘いになったときの相手方のような気がする」というが、まさしくそうなり。
いま帝国図書館本をパラ見すると、『獄中記』は書簡文形式の読書日記みたいなもの。書誌情報満載でオモシロ。そして、本好きが嵩じた林はこんなことまで書いちゃふ( ☞◔ ౪◔)☞

どうぞ、せつせと本を入れてください。本の目録を見るだけで監房が広くなつたやうな気がします。秀湖先生の八十冊がとゞいた時には、全く気も心もひろびろとしました。お礼を申します。(先生にいろいろ書きたいが、ご存知のとほり家族以外はいくら書いても削除だから、あなたからよろしく申してください。)新刊旧刊共に目録が見たい。昭生堂から出版月報をもらひ、また巌松堂の古書目録を買って、面白さうなのをちよいちよい知らせて下さい。買はなくとも、読めなくとも名前をみるだけでいいのです。(初版p.106)

「巌松堂の古書目録」って(・∀・)
ところでこの『獄中記』、昭和15年2月20日に発行されたのだが、翌3月25日に安寧禁止になっとる。理由は、p.61、124-130、187の三か所が「マルキシズム肯定、左翼運動鼓吹」だからだという。発禁年表v3p.581
いま国会にあるこの本(915.6-H48ウ)はちょっと不思議な来歴で、いったん押された受け入れ印が「受入変更」となっている。

昭和十七・七・三十・納本 → 昭和二一 五・二十七・納本

と標題紙にあり、さらに副標題紙に「禁安7−963」(ペン書き)「1013/280」(押印)があり、どちらも線で消されている。
これを解釈するのはなかなかムズイが、おそらく次のような段階を経たのだろう。

昭和15年
2/16頃 法定納本は内務省に対してなされた。
2/20 おとがめがないので出版社は販売開始。
2月下旬 いつもは1、2週間後に交付される納本副本が図書館に交付されず。
3/25 安寧禁止が決定。「検閲週報」で主要図書館には通知される。帝国図書館司書も通報にもとづいて禁函へ分類変更をしようとしたが、そもそも本が届いてないのでなにもせず。
5.? 改訂版(Cinii)
6.1 改訂再版(木本)
7.10 改訂3版(カナブン)
昭和16年
? 改訂5版(日本の古本屋データ)
昭和17年
? 7版(日本の古本屋データ)
7/30 図書館に直接、「納本」がなされる。整理中、発禁本と気づき、「禁安7−963」の請求記号を振られる。
昭和21年?
敗戦後 帝国図書館が禁止本を解除して普通函「1013-280」にする。
昭和20s?
普通函900函、1000函をNDCに分類変更し開架。「1013-280」は「915.6-H48」となる。

だれかが帝国図書館に「納本」したのだろう。しかし、この「納本」という表示ははじめてみた。ってか、戦後的な意味での法定納本なら「内交」(内務省交付)となるのがフツーだからねぇ(文部省から移管されれば、文交)。しかし、買ったりすれば購求になるし、寄贈なら寄贈だし。いまむりやり解釈すると、やはり法定納本なのだが、内務省交付でないものということになる。つまり、法定納本義務者が内務省を経ずして帝国図書館に直接、納本義務を果たしたということになる。
しかしこの解釈はもっと証拠で補強されねばならんね。でもちやうど3月の処分を載せたはずの『出版警察報』126、127号が未発見だと水沢さんの一覧にあるね。
http://www.geocities.jp/kafuka1964/shm.htm
してみると、逆に「発禁年表」に詳細な理由が書いてあるのは、これは福岡イキチが『検閲週報』を見たということになりはしまいか??? って、わちきが結構凄いことを言ってることがわかる人って、この世に10人くらいかしらん(・∀・)