書物蔵

古本オモシロガリズム

浪速書林古書目録』第十号に、ビックリ証言が!(×o×)

浪速書林古書目録 / 浪速書林 [編]<ナニワ ショリン コショ モクロク>. -- (AA11578711)
. -- 大阪 : 浪速書林, [19--]-
注記: 記述は7号 (昭52.8)による
著者標目: 浪速書林<ナニワ ショリン>
所蔵図書館 3
宮城県図 16<1990-1990>
国文研 書庫 7-8,13-14,18-19,21-27,29-42,44<1977-2009>+
奈大 図 21-25,27-35<1995-2003>

あーあ(・∀・`;) 持ってるとこ国文研ぐらいしかでないよ(*´д`)ノ (友人調べでは都立中央にも。森さんいはく「慧眼の士がいたのでは。たとへば稲岡勝さんとか」とぞ)

それはともかく。
序文がついてる。古書目録としては異例ではあるまいか。

の3つだが、寿岳は逝去直前だったため、痛々しい。「このようにみじめな晩年を迎えようとは、ゆめ予想もしなかっただけに」とか。発禁本についての目新しい知見はzero。ってか、この人にそういったものを求めてはいけない(。・_・。)ノ

戦後発禁本のリストについて

長谷川卓也氏のに新知見、といっても、わちきがあまり重きをおかない戦後の発禁についてなんだけど。まぁお勉強として。
長谷川氏によると、戦後の取締当局には発禁本の網羅的書誌は創られていないという。

〔戦前発禁本には当時の当局や戦後の復刻の書誌があるが〕ところが戦後の「猥褻押収本」となると、22年1月に摘発第1号の『猟奇』No.2以後、最近までのものを集録したリストは当局側で作成されていないときく。1年分ぐらいを手書き孔版印刷りした表は、かつて私が警視庁詰め記者をしていたころ見たことはあるが、戦前の内務省警保局編『出版警察報』といったようなものはつくられたことがないそうだ。そこで、戦後摘発刊行物のリストとしては、手前みそながら、拙著『猥褻出版の歴史・昭和22年〜37年』53年4月・新書版、『最近の猥褻出版・38〜54年』54年9月・46版(各三一書房)のそれぞれ巻末につけた「摘発リスト」以上のものはないように思う。むろん、これらも不備な点ががあるのをお断りしたい。

実は先だっての日本図書館情報学会で、戦後(現行法制下)発禁本の書誌DBのモデルを考えた人がいて、動機としては反検閲だったらしいんだけど、質疑応答で、喜ぶのは取締当局だけではという突っ込みがあったとぞ。そういえば一時期話題になり今はすっかり忘れられた防衛庁の資料を閲覧さすべきか否かの訴訟の結果がそろそろ出るのでは、とか。

稲村てっちゃん、グッジョブ!(゚∀゚ )アヒャ

てっちゃんのは、いつもながら注意深く読むべき。で。ちょっとした発見。

〔明治文献から出版された『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』がすごいものであることは有名だが〕ただ一つ、その出版事情について、なまじ戦前から帝国図書館に籍を置いたため、編者名の読みや表記の連想から匿名の編者に疑〔ママ〕せられて、“多大の迷惑を受けた”とふんがいしていた旧〔国会図書館〕職員の故藤代清吉氏(昨五四年四月病逝)の声を〔ここに〕記録しておきたい。

ぎょえー(*ω*;)´´
上記で稲村テッチャンが話題にしとるのは、これぢゃ。

  • 昭和書籍雑誌新聞発禁年表 / 小田切秀雄, 福岡井吉編 ; 上 - 下(2). -- 明治文献, 1965
  • 昭和書籍新聞雑誌発禁年表 / 小田切秀雄, 福岡井吉編著 ; 上, 中, 下. -- 増補版. -- 明治文献資料刊行会, 1981

発禁本研究に於ける基礎文献。

謎の人物、福岡, 井吉‖フクオカ,セイキチ

あまりにも有名な『発禁年表』ぢゃが、これを作成した人物が不明であった。どうやらペンネームらしいとは思われたが…
まず、この表記の読みだけど、国会にリファーしたら、どうやら1965年当時の目録担当も、直接、福岡本人に連絡をとって人名よみを確定したわけではなく出版社(ということは明治文献)におしへてもらったらしい。
とりあへずググブックると、共編者だった小田切秀雄の証言が。

……明らかに示すのが発売禁止であり、わたしはそれに関心を向けないわけに行かなかったのであった。明治大正についてはすでに発売禁止の詳細な年表〔斎藤昌三のもの〕がつくられているのに、かんじんの昭和期のものがないので、わたしほ国会図書館のヴェテラン福岡井吉と組んでかれの活動に従い警察がわの資料を調べて、昭和四〇 年に「昭和書籍雑誌新聞発禁年表」(全四冊)を……
小田切秀雄『私の見た昭和の思想と文学の五十年 上』(集英社1988.3)

という、。これによれば、
福岡井吉は、

  • 1965年段階で「ベテラン」であった。
  • 国会図書館に勤めていた。

ということになる。しかるに手許にある国会の職員名簿(昭和45年)にはかやうなる人名は出てこない。ということは、これは本名でないということになる。では小田切はウソを言っているのか? いや、逆に名前
が仮名とすれば、その名のもとに語られている上記の属性は信頼度が高くなってしまっている。
そしてまたここに稲村テッチャンの上記証言がでたわけだ。テッチャン証言を言説分析すると…

テッチャンの証言を分析

  • 福岡セイキチは、出版当時から、「匿名」だと国会の館内ではみなされていた。。
  • 帝国図書館から国会図書館まで司書だった藤代清吉という人が「編者に疑〔ママ〕せられ」た。→小田切のいう「ヴェテラン」とは、昭和45年当時、戦前期に司書経験がある人物が想定された。
  • 藤代清吉は、「編者名の読みや表記の連想から匿名の編者に疑〔ママ〕せられ」た。
  • 藤代本人も、自分はちがうのに、と「“多大の迷惑を受けた”とふんがいしていた」。→ やはり、井吉は、「イキチ」でなく「セイキチ」と出版当時から(おそらく国会の館内で)発音されていた。
  • 「発禁年表」の編者に擬せられるのは、当時、不名誉なことだった。だから藤井は「ふんがい」した。
  • 発禁年表の編者たることは不名誉と皆がみなすことについては、稲村てっちゃんも無意識的に同意していることは、「なまじ」という副詞を用いて同情しているところから明らか。
  • 稲村テッチャンは、前年に病没した藤代の不名誉をすすぐため、ここに書いた。あるいは理由は、名誉問題でなくただの事実の解明なのかもしれないが、だとすると稲村は、自分では福岡≠藤代と考えており、それを明らかにしておくのが必要と感じていた。

考察

結局、ほんとうの編者を稲村テッチャンが知っていたどうかは、これは聞いてみないとわからんが、すくなくとも、国会図書館員が匿名でこのような重要かつ基礎的文献(データベースと言ってもよい)を作成したということになる。
しかし…
しかし、かかる重要文献の作成が、なぜ国会図書館では不名誉なこととされたのだろうか? フシギである。ここから先は推論ぢゃが、考えられる理由は次のどれかだろう。
1)主義本に関わることは不名誉とされた→今はともかく当時は逆。
2)エロ本に 〃  →これだとすると、資料をひとしなみにあつかうべき国立図書館員に、ある先入観があったということに…( ・ o ・ ;)
3)なにかツールをつくること自体が不名誉。って、これはつくること自体の話と、つくりかたの問題にわけられるなぁ。
とにかく福岡井吉さん(仮名)のほんとうの話。生きている人が残しておかないと…。