書物蔵

古本オモシロガリズム

千代田図書館のちりめん本展示に秋山愛三郎の名を見る(`・ω・´)ゝ

ふとしたことから九段下なる千代田図書館で、展示「紙の本と電子書籍で楽しむちりめん本〜外国人に愛された日本の昔話〜」を見た。画像は同館HPから。

http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20140509-13053/
もちろん、ほんものの布のちりめんではなくて、印刷したあとちりめん風に加工した紙でできたみやげ用の本で、明治時代、外国人向けに出版された昔話なのぢゃ。

ほほぅちりめん本とな(*´▽`)
と、なれバ、もすかすて秋山のおとーちゃんはをるかの(*´∀`*)

とてパネルをみたら、やっぱすちょっとばかり、秋山愛三郎が出てくる。
しかしこの、ちりめん本出版社・秋山愛三郎はちとまへまで――戦後の言説空間では――生没年不明の人ぢゃった。
しかるにちとまへから、緑のおじさんこと秋山正美氏が自分の父であると自著の奥付などに書きはじめ*1、いまではウィキペにも記述されるまdになったやうである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E7%BE%8E
でも、出版史に興味を持つわちきであってみれバ、もちっと知りたいと思ってをったところ、緑のおじぢゃんのフシギな半自叙伝に、かやうな記述を発見し、渇きが癒されたことぢゃ。

K市〔京都市?〕は、私の父の郷里である。父は著述家で、宗教書や歴史書を、自費出版していた。著書はすべて英文で書かれ、わが国の文化に関心を寄せていた明治・大正・昭和初期の欧米人が、読者であった。父は、ひとり息子の私を後継者にしようとして、ひとかたならずかわいがり、毎日私のための英語のレッスンを書かしたことがなかった。母は、どちらかといえば古風な家庭婦人で、私に甘かったのは父以上であった。
 戦時中、私の一家は、親子三人で東京を去って、K市に引きこもったが、そこで父は流感に犯され、七十歳で永眠した。敗戦後二年後のことである。

秋山, 愛三郎 || アキヤマ, アイサブロウ は、おそらく、1877?-1947ということなのだろう。
生前、とくにその活躍期にどんなに活躍した人でも、しょぼぼーんと死去する際にまはりに共同体的なものが生き残ってないと(たとへばお弟子さんのネットワーク)、没年不明の人物として歴史に埋もれていく。特にこれは、長生きすればするほど、そうなる。
しかし愛三郎が出したちりめん本が「自費出版」だという証言は初耳でござった。
かやうに人物調査をするバヤイ、子供の線から攻めるといふのも技法のひとつなのぢゃのぅ。