書物蔵

古本オモシロガリズム

天目山荘こと武者惣蔵

窓展で拾った『銀花』(7) p.132 (1971.6)に、庄司浅水がこんなことを書いている。

戦前、宮城県の荒浜というところに武者某という本気違いがいた。〜恋文蒐集をもってきこえ、かさねて初版本、禁止本、限定本などを数多く集めていた。

とある。はて、知らぬなぁと思うたが、庄司がいうには、関野, 準一郎, 1914-1988 || セキノ, ジュンイチロウによる次の小説がその伝であるとぞ。

  • 関野準一郎 著. 天目山荘 :. 関野準一郎, 1955.9. 60p ; KH544-G227

はて、天目山荘とは何者ならんとて、調べてみたが、汎用レファ本には出ず。
なれどいまググれバ、「亘理郷土史研究会副会長 武者惣蔵」なる人物が活動中とか。さてこそ類縁ならん。
国会デジを覗くと次の文献ありとぞ。

  • (Y)「天目山荘のこと:「古本屋の手帖」追記」『日本古書通信』63(7)=(828) p.7 (1998-07)

しかし国会のデジデジ、紙芝居画像と同じぐらい目次テキストが重要なのに、実際に載っている記事ごとに採録する(「細目」の採録)のではなく、目次表にあるものにあわせて採録するという重大な仕様の大間違いをやっとるので、こーいった、埋め草的な、編集して紙面に余白ができたんであとから突っ込んだ記事がまるで採録されなくなってしまふという事態を招いてをるなぁ。もったいないことおびただしいですよ。

天目山荘のことは前に調べようとしたことがあって、多少は資料も探したが、この人に直接有ったことのある人が今のところ見つからず、手紙での付き合いの斎藤昌三、志茂太郎氏は既になく、私も二、三度は手紙を貰ったが、いずれも敬遠して深い付合いはなかった。

「敬遠して深い付合いはなかった」と云ふのが、なにやら意味深めいて。。。( -Д-)ノ

「瑞軒書屋物語」という稿本があって、鈴木直二氏の「徳川時代の米穀配給組織」(昭和2・巌松堂書店刊)にそれが引用されている。武者惣蔵の家筋は荒浜で昔から米の廻船問屋をやっていた土地の名家らしく、

ほほぅ、いまググブクると、次の文献にその廻船問屋が紹介されている。

天目山荘につき続報!(。・_・。)ノ

出版史系では、意見でなく文献を伝えてくれる読者がおられ、ありがたいことおびただし。