書物蔵

古本オモシロガリズム

拙ブログ模型小売店の歴史本が出たらすぃ〜(*´∀`*)

ウワサの小冊子をご紹介しちゃふ。

版元(?)の惹句はかようになっとる(´・ω・)ノ

月刊モデルグラフィックス』創刊30周年記念!
1990年から連載開始。当時そこかしこに存在し、子どもやモデラーたちで賑わった”町の模型店”を取材した名物コーナー。その一部を再録&常連だったモデラーや当時の関係者などの思い出コメントを追加掲載。デビュー直後の滝沢聖峰先生が描いた店の俯瞰図も必見です。
あのころ通った店 憧れていた店
作る前に行く、途中まで作ったら行く、買い足しに行く、店員さんと話に行く、完成したら見せに行く、用事がなくても行く……それが町の模型店

いやサ、ちやうどきのふ、古くからのオトモダチとお茶した際に、まさしく彼が、ある模型店

広告で見て、憧れていたんですよ(* ゚ -゚)

と回顧しとったのも偶然なり。彼のバヤイ、行ったことのない「憧れの店」を通じて、プラモ趣味に参加しとったんだねぇ。

まず、ちゃんと切れるニッパーを探すのが難事でした(。・_・。)ノ

とも言ふとった。彼は地元の模型店に行っとったから、二流のニッパーしか入手できんかったやうである。ちなみに彼はシャーマン戦車が好き(σ^〜^)

売店紹介といふもの

わちきの趣味の出版史になぞらえれば、受容史がいちばんむづかしい。特に受容の場と受容者。本でいえば、書店と読者。プラモ・模型の場合は模型店モデラー。メーカーについては経営規模が大きいんで、社史が出るし、ぎりぎり同業組合の本なんかも出る。また、ギョーカイが成立する規模の業界だと、業界誌・紙があって、そこが業界史や自社の社史を出版し、それが一般史の代用になったりする(例. 図書館用品のキハラの百年史)

ウィキペの参考文献を参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB

しかし、アイテムの受容の場である、自室(個人住宅内の部屋、出版物なら書斎)や、そこに持ってくるまでの最後のポイント小売店のことって、すごく重要なのに、「正史」の形では残らないもんなんよ。
たとえば1960〜70年代「日本一の」模型店だったステーションホビーについても…

「日本一」だった「ステーションホビー」でさへ

ステーションホビーさんのこと
このお店は当時のプラモデラーは知らない方はいないだろうと思いますが当時お店は新橋駅前にあり(場所はご近所に移転されたこともあったようです)のちに錦糸町の駅ビルに移転されました。
私の知っているこのお店は独自の輸入ルートを持ち殆ど世界中のプラモデルを扱っていました。ただ小さい店舗なので商品についていろいろ聞くと怒られると当時のお客さまによく聞きました。当然事前に商品の予備知識を勉強してから買いに行くというようなお店でした。
今考えると店員さんは忙しいのでいろいろ質問されても困るということだったと思います。
何れにしてもこの当時日本一のプラモデル店であったことは間違いありません。
えんどう親父の模型語り2-5 2006/10/05 えんどう親父のたわ言
http://endo-tokyou.at.webry.info/200610/article_4.html

かの「えんどう」店主氏の回顧ぢゃが、おほむねそのとほりで、まさしく「日本一」ぢゃったらう(こまかくいへば、新橋から錦糸町に移転したのではなく、錦糸町テルミナのお店は支店で、同時並行で存在した――下記画像参照――新橋内で移転したのはほんたう)。「いろいろ聞くと怒られる」てふのは知らんかったがc(≧∇≦*)ゝ
いまでも、米国リンドバーグ1/64(!*1)のJu-88を買ふてもらふたことを覚えてをるよ(´・ω・)ノ
しかし、この日本一だった模型店にしてからが、後続の小売店主やお客の「思い出」のなかにしか、記録(記憶?)がないんだよねぇ…。もはや1960〜70年代の小売店状況は、記述するのは不可能なのだらうか。さういった意味で、1990年代の小売店状況をまとめた上記パンフレットは意義深いと思ふ。
いまググると、かういった画像(MR誌の1962年8月号p.16とぞ)が見つかる。やっぱす小売店史の一級資料は広告ですのぃ(σ・∀・)
画像
http://hoscrape.seesaa.net/category/10012432-1.html

まじめに文献検索

まあ仔細に文献検索すれば、こんなんも出てくるんだけどね。

このプラモに僕がはじめてお目にかかったのは、五年くらい前、当時東京・新橋の橋の下にあった、ステーション・ホビーという模型店だった。
岡部冬彦「漫画の合間にキット組立て(グラビア)」『文芸朝日』3(3) pp.78〜80 (1964-03)

1959年前後はステーションホビーぐらいでしか「プラ・モデル」は国内で入手できなかったので、たまたま欧州へ行けたから当地でたくさん買って帰ってきたら日本でもあちこちで出回っていたそうな。

プラモデル店は、全国で現在8000店を超えるといわれ、今後とも増加する傾向にある。
加藤實 「ニューライフ指向型小売業の診断講座(10)プラモデル店の経営特質と診断
」『企業診断』25(10) p130〜134 (1978-10)

さうか、1959年の1店から、1978年の8000店へ、20年間に急激に増えていたといふことか。

受容史

ここは模型趣味、特に現代的で出版物にも比定可能な(なんてったって、金型でプレスするからね)プラスティック・モデル・キットの受容者のことを考へたい(ソリッドモデルや鉄道模型は戦前からのながーい歴史を有するので手に余る)。
といふことで、「モデラー」(初期には「プラモ・ファン」といふた)の生成を考えるに、流通の末端(=最前線)たる模型店の歴史は重要なんだわさ。首都圏民ならば、「えんどう」「サニー」「ドラ」「ミスター・クラフト」といった伝説的小売店の名を聞いたことがあらうし、わちきなぞ、さきつるステーションホビーを訪ふたこともあるのぢゃぞ(σ・∀・) そこで輸入品のデカールを見て「デカールが単体で売ってるなんてΣ(゚◇゚;)」とびっくりしたことぢゃった(そういやエスケーさんも隣にあったね)。
拙ブログ初期にいちど論じやうとしたことがある。

2005/4/1(金) プラモの歴史とモデラーの性格類型:即売会拾いモノから
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050401

プラモ趣味の進展で、どのようなジャンルのプラモでも楽しんだ「プラモ・ファン」は、スケールもの、キャラクターもの、自動車などとジャンル(専攻?)が分科していき、セグメント化された「モデラー」が成立する。「スケール・モデラー」とか、「AFVモデラー」とかね。わちきみたいな、なんでもオモシロがれる(お城からお神輿から商船、軍艦、二枚羽――ん?(・ω・。) これはWW1の軍用機のことぢゃ――ガンプラ、フィギュアまで)てーのは、実はモデラーではなく「プラモ・ファン」なのかも知れんのぅ(*゜-゜)
いま、ステーションホビーでググると、次の記述がヒットする。

回顧 (Red) 2010-12-19 21:13:37
(略)
そして新橋の烏森口を出てすぐにステーションホビーがあった頃。
憧れの「臭い」を嗅ぎたくて、恐る恐るステーションホビーに入りました。
そこには小太りの(良く言えば恰幅の良い)客が男性秘書といて、アメリカ製のキットをたくさん買っていました。金満家に見えて、子供心に不快感を(嫉妬感か?)を覚えました。
その人がラジコン界の大御所、園田直・厚生大臣だったと知ったのはそれから間も無くしてからでした。
http://blog.goo.ne.jp/contrail7/e/7b63b5351c6350aba411d5208e3d4bf2

これは、U-コン(飛ばす模型)についてぢゃが、この回顧者によるように、1950〜60年代「創世記(黎明期)は「旦那趣味」」だったとプラモ趣味についても言へませう。ちなみに初期プラモ・ファンの一番の有名人は、俳優の石坂浩二ね(σ・∀・) 中山正暉もさうだと文献検索したら出てきた。

旦那趣味時代のプラモ・ファン


飯岡健太郎【画像】というのがステーションホビーの店主で日本プラモ黎明期について、次の座談でいろいろ重要な証言をしている。それによると…

  • 航空ファン読本」編集部 ; 石田実 ; 五島彪 ; 金子三夫 ; 飯岡健太郎 ; 木村泰造「〈座談会〉プラモデルは花ざかり」『航空ファン読本』(3) pp.94- (1960-04)

5年ほどまえ、つまり1955年前後に初めてプラモを輸入したというが、最初は売れるかわからなかったので少し。本格的に売り始めたのは3年前、1957年からだという。
顧客の有名人には、次のような人たちがいたとも。岡部冬彦、小金馬(古典機)、ミッキー・かーちす、キノトール、三木鮎郎(船)、オスカー(珈琲)店主(車)、平田屋(羊羹)店主(車)、一龍斎貞鳳、江戸屋猫八
座談の木村泰造というのは自称「模型研究家」で、本業は木村屋パンの社長さんらしい。あとは、マルサン(メーカー)の人たち。

特定ジャンルの趣味受容史、資料しらべの一般論

メーカーになった元、小売店ウィキペディアに立項される傾向。
専門雑誌広告は一級資料。
まれに商業誌に一般論がのることがある。
まったく関係ない専門誌に載った記事は、観点がオモシロくなる。

  • 平柳一夫 ; 酒井伸明 ; 科埜真義 ; 嶋原文雄 ; 武政光雄 ; 村上雍彦「プラモデル(座談会)(一)(二)(三・完)」『法曹』(12)(410) pp. (1984-12), (1)(411) pp. (1985-01),(2)(412) pp. (1985-02)

*1:むかしは、パッケージの箱に合わせて縮尺を調整していたのだよ。1/48とか1/72とかにデファクトがそろうのは1980年前後ではあるまいか(σ=Д=)