書物蔵

古本オモシロガリズム

拙ブログのまとめ→大変な難事業(;´▽`A``

拙ブログのまとめが大変な難事業だと判った(^-^;)
大場亀夫さんのやうな方がオモシロがれるちと抽象的な話題はここ数年のものがおほいんだけれども、初期の、つまり2005年から数年間の個別具体的なものにもそれなりにオモシロな記事もあり、さらにいへば、わちきのバヤイ、個別具体から半歩から一歩だけ抽象性を高めるといふやり方がおほく、けして個別具体をおろそかにできぬ。ってゆーか、ごちゃまんとある具体から事例化できるようなものを選り出すのが一苦労なのぢゃ。
うーん、うーん(-∀-;)。まだまとめとらん図書館系の記事にそーゆーのがおほいしなぁ。。。

プラグマティズム

ただ反省には役立った。
自分の思考パターンと、その変遷がつかめてきた(゜〜゜ )
個別具体から少しだけ抽象化するのが得意のやうだ(σ^〜^) あと、アングロサクソン的なプラグマティズムに対するあこがれからか、それっぽい考えをする傾向にある。これは昔の軍事趣味、戦史趣味からきたもので、大東亜戦争(1941〜1945)で、なぜあんなに日本帝国がブザマに失敗を繰り返すのに、米国が最初失敗するのに必ず持ち直すというパターンになるのか、その原因が、実は資源の多寡とは別に、人間集団の考へ方にあるのではと思うやうになったから。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

日本で得難い軍事史の知識

日本の大学では軍事学軍事史の講座がないので、昔、自分がミリオタだったことにはほんたうに感謝しとる。正確には、幼少時から大学にかけて

船好き→艦船プラモ→軍事プラモ一般→ウォー・ゲーム

という変遷があるのだけれど、この変遷がよかった。KOEIのゲームみたいに、戦闘機のスペックがあがったから戦争が有利になるなどといふ帝国陸海軍ばりのバカな考えを脱することができたからね。ウォー・ゲーム好きは組織を見る目にもつながったことでしたよ。
もちろん、現場の悲惨さといふのにも興味はあったが、2011年3月の半ばに、よもや自分が似たような目にあいかかったのには閉口したよ(#+_+)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

その時の指揮官はもう死んだが、これについてはわちきも死ぬまへに書かねばと思ふてをる(-∀-;)
ただ拙ブログでは軍事趣味はあまりでてきとらんね。ん?(・ω・。) 誰ですか、今週末ワンヘスに行くぢゃないかっていふ輩は(;´▽`A``

大東亜図書館学

戦史趣味からは、大東亜図書館学が出てきた。もちろんこれはわちきの造語なんだけど、他説のパクリしか結局でけんかった佐藤忠恕がした唯一の独創「時局と図書館学」てふお題を見てピキーンと来たもんなんだけどね。これなぞは珍奇なもの、偏差しとるものを好む趣味のなせるわざ。
けどさ、狂信的国家主義者かと思ふてをった図書館の日本性論争をはじめた増田七郎が、司書としては例外的に(≧∇≦)じつはちゃんとアタマもよい(性格もよい)学者もどきで、なればこそ図書館の日本性を考へはじめたと知ってから、これはなかなかに奥深い問題があると気づいたことぢゃった。
もちろん、アタマのよい七郎の図書館学的予言が皆、ズバリズバリと現実に当たったのを知って、もっとオドロキあきれ、敗戦国民として情けない気分になったが。

近代書誌学

一度書いたが、いまだにアカデミズムに対するあこがれ(学会、大学制度といふよりも、単に、おちついてきちんと考えるといふ意味でしかないんだが)があるんで、雑多で下らなかったり、下品な事象をわざと概念的に考えてみる傾向もある(。・_・。)ノ
日本近代書誌学の提唱などは、そんなところから出てきとるね(o・v・o)b
フシギなことに、いままで書誌学会とか出版学会とか私大図協書誌作成分科会とか索引家協会とか日本近代書誌学協会とかあったけど近代日本の出版物に関する全体的説明って、まだないのよ。
でもサ、英米では単に書誌学(bibliography)という領域で、前近代も近代もやるんで、日本でだけ勝手に、支那目録学とも離れて、古典(前近代)に囲い込んだ書誌学しかないなんて、バカみたいでしょ。ってか、職業的学者で(古典)書誌学をやっとる連中はそれでいいと思っとるんかなぁ…