書物蔵

古本オモシロガリズム

半開架 semi-open shelves system (蔑称:パチンコ式)はかようなるもの(写真)


id:wackunnpapaさんが「パチンコ式」の映像を探しておらるるやうである。
さういへばこのまへつれづれに見たなあとて、戦時中の事例なれどご紹介。
パチンコ式とは、図書館における図書の陳列方式の一つで、本来、「半開架」と英語の「セミ・オープン」の翻訳語として呼ばれていた方式。「準開架」ともいはれたのぢゃ。
いやサ、開架方式にはいくつか種類があって。
安全開架は、イギリス式といふて、書庫に這入ることができるといふやつ。いちおー開架。書庫の出はいり時に身体検査と帯出手続きをする。
自由開架は、アメリカ式といふて、開架室、つまり、閲覧席と書架を同一部屋にしつらえる開架。
では「半開架」(semi-open)は? といへば、どっちでもなく、これが昭和30年代、中小レポートによって「パチンコ式」と批判されたもの。

写真を掲げたのは、東京芝浦電気、いまの東芝の工員用の貸出図書館だった「山口文庫」の例。
まだ戦争も余裕のあった昭和17年ごろの映像。
見ればわかるように、書架の全面にガラス板か金網を貼り付けるんだけど(まあ、ショーウィンドーの一種)、(ガラスの場合)下のところに隙間を開けておく。
ガラスと棚板の隙間から借りたい本の背を押すと
(って、←ほれ、人差し指で押しとるでしょ(σ・∀・)σ)
向こう側にいる図書館員が貸出し手続きをしてくれるというもの。
ほほえましいのー(*´∀`*)

  • 工業青年の読書指導 工業青年教育研究会 編 (国民工業学院, 1942)

これの巻頭グラビアの写真である(`・ω・´)ゝシュピ
ってか、この「山口文庫」戦時読書の一つのモデルでもある。都会の工場読書ね。高橋愼一さんという人が一生懸命やってたの(。・_・。)ノ もう一つのモデルは田舎の「清明塾」、いまも100歳以上でご存命の梶井重雄さんがもっと精神主義的にやってたんだよ〜(σ^〜^)σ
工場読書のほうはといへバ、兵器増産で駆り出された少年工たちが、お給金がもらえるようになったゆゑ、少年なのに(だからか?)お酒とおんな(当時は赤線がある)にふけってしまふので、どうにかせねば、とて編み出した健全娯楽なのぢゃ!`・ω・´)oシャキーン
本を読んでゐれば、酒や女を忘れられるとゆーわけ(σ^〜^)σ
ん?(・ω・。)
これ、ホントーのことだよ(。・_・。)ノ
で、この工場読書は貸出中心主義で経営する。だって、図書館に長居されたら兵器の増産に響くもん(σ・∀・)
ん?(・ω・。) さうかあ、こんなところにも、のちの貸出主義の萌芽があるのかもね。
ところがこの半開架、戦後になって「パチンコ式」という蔑称を奉られ、さかんに批判されたのぢゃ。
もちろん、戦後の蔑称。パチンコで玉が出なくなるとパチンコ台を叩いて、パチンコ台のウラにいる店員にパチンコ玉を補充させるという風俗に見立てて、パチンコ式と呼び、蔑視したもの。
んで、いま気づいたのだけれど、戦前における「安全開架」の失敗事例、京橋図書館の画像があるなかに、戦後の「半開架」の画像もあった。
http://www.library.city.chuo.tokyo.jp/clis/detail?NUM=002268023&CTG=1&RTN=01&SID=E5j6DuA1bmu2hn&TM=014220084

この写真の撮影は昭和42年とある。そのころまで京橋図書館では運用してたのかしら。。。( ・ o ・ ;) でも画像をよく見ると、横倒しにして積んであったりする本もあるから、単なるショーウィンドーとして運用してたんだねぇ(・∀・`;) それに一段目や二段目の薄冊はとても指では押せない薄さ(σ^〜^)σ

閉架→半開架/安全開架→完全開架

とゆー図書の提供方式の変遷を、なにかとてつもない観念(たとえば民主化とか)とくっつける図書館史観があるけれど(たとへば数年前JLAからでた図書館建築史の本とか)、あれは嘘。
ってか、利便性の向上の話と、民主制とは必ずしも連動しない。
だって、国会図書館なぞは全面カイカならぬ全面閉架で、だからといってあそこが全面的に保守反動で封建主義的図書館とはいへんでせう(σ^〜^)σ
はい、証明おはり(。・_・。)ノ
それよか連動しちゃふのは図書の紛失問題だったのに、それを同時代の図書館員たちが隠ぺいしたのでむしろ問題がややこしくなったまんまになっちゃったといふのは、『公共図書館の論点整理』のBDSの章に書いてあるところ。日本図書館史のスキャンダルだよなぁ(*゜-゜)