書物蔵

古本オモシロガリズム

「通信」の定義例(昭和末年)

森さんに近藤芳正による「通信」定義を見せてもらい、んではついでに「逐次刊行物」の語誌でもしらべるべぇと見てみたが。

「逐次刊行物」の語誌

どうやら明治末年にすでに図書館界で用例のある言葉らしい、ってか、館界固有の用語といってよいだろう。実は英米のシリアルずの翻訳なれば、次の文献に英米の語誌につきて簡単にまとめがあった(これは近藤芳正により芋蔓)

  • 石山洋「逐次刊行物に扱う範囲の拡大について--国立国会図書館における資料整理システムの革新」『国立国会図書館月報』(299) p.2〜10(1986.2) ※「逐次刊行物小史」と題して、英米における「serials」概念の発展史が1ページ分ある。19c半ば、連載小説を意味する語として登場し、図書館界では1904年、カッターの目録規則第4版で使われるようになったとある。日本館界における検討はない。いきなり国内の、それも自館における排架の話にとんでいる。
  • 近藤芳正国立国会図書館における逐次刊行物--情報源の利用と保存」『国立国会図書館月報』(369) p.2〜9(1991.12) ※
  • ざっさくプラス 戦後の用例しか出ない。
  • ウィキペにも立項されとるが、石山が暗示するやうに、翻訳語であるはずなのに、日本語版しかないというフシギ。こりゃあ、司書課程のキョーカショをオベンキョして書いたね(σ・∀・) べつにそれがいかんとはいわんが(σ^〜^)σ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%90%E6%AC%A1%E5%88%8A%E8%A1%8C%E7%89%A9 まあでも、NIIの入力マニュアルから、「刊行頻度」(この概念、コトバ自体が、実はかなり検討が必要で、戦前は、「度数」などとも)

それはいいけど「通信」は?(σ・∀・)σ

多才な石山ひろし翁の論説はまぁ、昭和時代的といへやうが、森さんが発掘してくれた近藤芳正による文中の記述が、戦後における「通信」の概念史として役に立つ。
記事題目にあるやうに、この頃、国会は約10年ごとに繰り返す組織変更(「機構改革」というのだとか)の時期にあたっていたやうで、主として「情報化社会の新訂んにともない〜これが相次ぐ雑誌の創刊となり、新聞の増頁となって」(p.2)いたといふことで、「雑誌、新聞に係る業務を所掌する「逐次刊行物部」が設けられた」といふ。
んで、こっちの、あまり文章を書いていない近藤氏(さういへば、むかし、「こんちゃんのトンカチ歌自慢」てふのがあったなぁ(*゜-゜))の文章のほうが現状記述的で役に立つ。
p.4の記述をよむと、必ずしも論理的でないのだが(後述)、次のように整理できる。

・逐次刊行物
・・雑誌:週刊誌、総合雑誌、年報、紀要・会議録・会報、研究報告書、事業報告書、モノグラフシリーズ
・・新聞

必ずしも論理的でない、ちゅーのは、前ページで、

わかりやすく「雑誌・新聞」ではどうかというと、通信、紀要、月報、年鑑などは含まないことになる。

と、次のページで、雑誌の下位に含めている「紀要、年鑑」を「含まないことになる」ことにしている。
ワケワカランこんちゃん。
でも、それで、いーのだ。司書は学者ではないのでo(^-^)o
ん?(・ω・。) 
まぁいいや。
そんで、「通信と新聞をどう区分するかということが問題となるが、原則として」とつぎの要件を挙げている(。・_・。)ノ
新聞あつかいはつぎの要件なのだそうな。

大きさがB4版または36センチより大きいもの(タブロイド版〔ママ;判〕を含む)で、
「とじ」がなく、
表紙にも記事があり、
表紙と本文が同一紙質

なのだそうな。
通信あつかいはつぎのものだとか。

 「とじ」がないか、またはホチキス等による仮とじで、
 無署名ニュース素材を主体として
 追込み編集をしている

そんで、「これを当館では広義の「雑誌」扱いとしている」とのこと。
つまり

・逐次刊行物
・・雑誌
・・・通信
・・新聞

といふことになる。
いやサ、日本近代書誌学を成立させる上において、米英流図書館学が日本の現場においてどのやうな変形を強いられるのか、というのはきはめて重要な論点なのぢゃ。
その一つがここにある(あった)といふわけだねぇ(゜〜゜ )