書物蔵

古本オモシロガリズム

国会のレファレンサーにあった2つの流れ:趣味人と組合屋と

ポツダム官庁時代、趣味人稲てっちゃん潜り込む

『文献継承』(14)で記載されとる文献に言及したが、

良家の子女は組合屋

とは、失われた「(国会)図書館いろはかるた」にあった一節であった。
稲てっちゃんが、新富町なる書物展望社に出入りし、斎藤昌三ら「実行派」が、

これから赤線へ繰り出すぞ

といいあっている陰で、書斎派の稲てっちゃんが、

ボクはそんなのは…

としり込みし、海千山千の愛書家から書誌がらみの本を高く買わされていた時代のことである。
って、この時代の言葉の本来的意味での「のんびりのびのび」は、いちど秘蔵写真入りで紹介したよね(*^-')b

遅刻ぢゃ〜 トチゲキだすっ!`・ω・´)o:或る司書の出勤風景
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20111225/p1

まぁ、さういふアナーキーな時代、羽仁五郎のコネで稲てっちゃんが入り込んだ話はしたっけか(;・∀・)ハッ?
ご本人は日本近代文学を書誌学的観点から再検討するのぢゃ、と大久保乙彦の追悼録で言っていたが、うーん、はっきりいって行状は本好きのきはまったものと解するほうがよいと思へる(σ^〜^)σ
ポツダム官庁には、あらゆる廃止官庁の有象無象が流れ込み混沌とするなかで、それなりに本ずきな人々もまた、もぐり込んでいたのであった。
その一人が、書物趣味の稲てっちゃんなわけだけれど、満鉄調査部の流れとか、あるいは国会附属とて民主主義、人民主義に殉ぜんとする人々もおった。
ゼンニット(全国日本図書館員組合)の事務局が国会内に置かれたのも、それがため。

そして組合屋

といふわけで、国会のレファレンサーには2つの流れが仮定できると思ふ。
その一つはもちろん我らが稲テッチャンみたいな、「本ずき」「古本ずき」系の趣味人。
もひとつが、図書館やレファレンス・サービスは人民の知る権利を守る砦とて、政治的に覚醒した人々ね。ここではそんな「前衛」を「(国会)図書館いろはがるた」にちなんで「組合屋」と呼んでおく(実際には1970年代、新左翼の台頭で、組合系も2つの流れができた。館界で当時有名だった「海老沢闘争」も、それが背景にある)。
きのふ話題にした住谷タケシ氏は、こりゃもちろん政治的な前衛で(途中で日本共産党を離党している)。
ご本人による自伝によれば、図書館人生は最高裁判所附属の図書館から始まったのだけれど、組合活動をやりすぎて居づらくなり、たまたま拾う人(高橋徳太郎;タカトクだといふ)があって国会の調査及び立法考査局(調立;ちょうりつ)へ移籍。んで、そこでまた組合運動をとんでもなく一生懸命やって、これまた自伝によれば、かの「ローマ字闘争」で昭和39年、鈴木館長を退職に追い込んだのは住谷氏の差配によるものだとか(σ^〜^)σ
んで(o・ω・o)

ローマ字闘争に勝利して、鈴木館長を辞任に追い込んだあととあ、人事異動の話は一度も出ず、30数年の間、法律・政治関係のレファレンスと書誌の作成というポストをかわることはありませんでした。(『私の昭和史』私家版 2006 p.45)

で何をいひたいかといふと(=゚ω゚=)
日本の官庁・会社のバヤイ、稲てっちゃんみたいに初手から趣味人一本やりでいくか、左翼運動などで左遷されるかしないと、スタッフとして大成しないといふことなのであーる(σ^〜^)
まぁ、

その代わり、いわゆる「出世街道」からは完全にはずされました。

とご本人は深刻がってるけど、「退職する少し前に、部長職ポストの司書監の辞令を」もらってるから、十分出世だと思うがの(σ・∀・)σ