書物蔵

古本オモシロガリズム

出版行政史「として」読める文学研究

まだない学問ジャンルたる日本近代書誌学において、出版史やそのサブ領域たる出版行政史はきはめて重要とは、これは言わんでもわかるわな(゜〜゜ )
1990年代にあった日本近代書誌学協会の会報を大変な苦労をして(笑)極秘裏に入手して読むと(国会図書館にもない)、出てくる人出てくる人、ほぼ全員が、「ボクは書誌学は専門でありませんが」ぐらいのことを言う。

「○○として」読む、使う

でも、ご存知のとおり、ディシプリンというのは実は歴史的に生成されるもので、現象や知識はディシプリンができる前に存在する。「ボクは専門ではありません」という他律的なスタンスでは成立するもんも成立しなくなってしまふ。
要は、現象の認識や知識をどのように編成していくかといふことである。ゆえに、国文だろーが、出版実務だろーがなんだろーが、「○○学研究として」使えるもの、「○○学研究として」読めるものを、使い、読む、というスタンスが正しい。
とゆーことで、水沢不二夫氏の発表したものを読んでいる。

  • 「検閲官生悦住求馬小伝」『湘南文学』(47) p.49-64(2013.3) ※ネットにあり
  • 平凡社「月刊維新」の発禁と埋もれた作品」『近代文学 注釈と批評』(7) p.92-114(2009.3)
  • 「明治中期横浜の出版人吉永良延と発行禁止」『湘南文学』(46) p.〓(〓)
  • 佐藤春夫「律義者」、江戸川乱歩「芋虫」の検閲」(83) p.199-206(2010.11)

ところでこれらの書誌情報をどうやって入手するかぢゃが、肝心のざっさくとサイニーがあんまアテにならんのよ。上記のうち1つしかヒットせぬ(゜〜゜ )
でもネットに書誌情報が存在するo(^-^)o
というのも、笠間書院のブログが目次情報(内容細目)を律儀に入力、UPしてくれているからである。大変ありがたい。ってか、サイニー、ざっさくの落ち度を補完する民間の努力はたふとい(。・_・。)ノ
http://kasamashoin.jp/2009/06/post_960.html

ざっさく、サイニーにも採録されていないような国文系の論文を見つけるには

してみると、ざっさく、サイニーにも採録されていないような国文系の論文を見つけるには、次のような検索式でググるとよいとゆーことが導き出される。

水沢不二夫 site:kasamashoin.jp/

ですな。
こんな式も考えられる。

検閲  ”いただいた本・送られてきた本” site:kasamashoin.jp/

ちとノイズが多いが(^-^;)

追記

えっとですねぇ。わちきもすっかり忘れていたけど、国文研のざっさくをひきませう(^-^;)
で、あへていふと、国文学研究資料館、って長い名前だけど、コクブンケン、じつはものすごくいい仕事をしている。
インターフェイスはいまいちだが、明治初期の出版広告DBなど、ほかにないのに汎用性のきわめて高いデータを作成してくれている。このDBなぞ、出版年鑑のなき時代の(ってか、そもそもこの時代、年鑑そのものが開発されていなかった)出版年鑑「として」使えるわけで。

これは、レファレンス・コレクションも同じ

日本図書館界におけるレファレンス・サービスについて基本的な誤解とゆーものがいくつかあるなかで(その代表は、リファーするのは誰かということ)、レファレンス・コレクションとは何か、レファレンス・ツールとは何か、というのがある。
文化維持的民族たる大和族の世界では、文明的なものを教わることはできても作ることができない。だから、アングロサクソンから、レファレンス・ブックを集めてレファレンス・コレクションを作りんしゃい。しこうして、それをツールとしてレファレンス・サービスに使いんしゃい、そうしないとライブラリーなんてただの本置場(文庫)でしかないでしょ、と(大和族が)おそはったのが50年まへ。
んで、「これがレファレンス・コレクションだよ」と見せられた本の多くが、辞書や事典、文献リスト(書誌)だったんで、

ん?(・ω・。) さうか、「レファレンス」なる概念はよーわからんし、「翻訳不可能」と思ふけど(←これは間違いだった)、よーするに、辞書や事典、文献リストを集めてならべれば、いいのね。

と「理解」した。
って、ちがーう!`・ω・´)oシャキーン

リファー読み(「照読:参照読み」)ができるものが、レファレンス・ブック(ツール)であり、その集積がコレクションなのである。

ん?(・ω・。) まだわからんか。
レファレンス対象「として」見立てて読む(使ふ)のぢゃよ。
そりゃあ、小項目主義で項目が項目ヨミ(ないし綴り)の機械的配列準(まあいろはもあるわな)で並んでいるものが、いはゆるレファ本かもしらんが、じつはこれは、いはゆる、でしかない。
レファレンス・ツール、あるいはレファレンス・コレクションといふのは、

レファの道具として使うもの全部

の謂いでしかないのだ!`・ω・´)oシャキーン
もちろん、レファ本が開発されとれば結構けだらけだけど、あるジャンル、あるトピックにそれが開発されとらんバヤイはどーするね(σ^〜^)σ
アフォな司書ならば、

ありましぇーん

で100点だろーが、多少なりともレファレンス・ワークを賤業、ぢゃなかった専業でやらんとするレファレンス・ライブレイリアンならバ、次の2つのことを考える。

1 そのジャンル、トピックの資料で、レファ本「として」使えるものはないか?
2 上位、関連のジャンル、トピックの資料で、当該ジャンル、トピックのレファ本「として」使えるものはないか?

もちろん、上記、2つの探索を十分に試みてのち、なければ、「がふり的検索手段がありませぬ」ぐらいの答へをするのが常道ではあらう。
しかし。
ほんとはその先があるんだよね(σ^〜^)

3 レファ本を開発する

まあ、開発には1や2も入るかもしらんが。
1950年代、レファレンス・サービスで館界を驀進した神戸市立の志智嘉九郎は、まさしく3までも展望に入れて驀進したわけで。