書物蔵

古本オモシロガリズム

学燈が継がれない時

伊藤松彦の『大またで歩く』を読んで感じたのは、せっかくの日本レファ再興の気運が、伊藤の館界中央からの離脱によって中折れしたのだなぁということ。
さういへばY氏が

東京にゐなきゃ、ダメだヨ

と云ふてをったなぁ。
話し戻すと、以前見た、JLAの『レファレンスと書誌』てふ雑誌が、実は『参考書誌研究』の継続前誌にあたることなど、もはや生きてる人間で知っとるもんをらんよ(。・_・。)ノ ってか、伊藤の下向後、その『参考書誌研究』は主題書誌の発表の場としてのみしか機能しなくなり*1、その後の業界史が示すやうに、レファ再興の拠点たりえず。それも数年前理由不明の廃刊をしてゐる…
だいたいやねぇ、主題書誌なぞ、件名がちゃんと機能せねば、リファーの対象になりえんのよ。ってっても、件名のことをわかる人間があの国会にすらをらんやうになって、こりゃもうどーしよーもな(=゚ω゚=)
ぜんたいがいかにだめだめか、理路整然と今度説いてみるかの。
ん?(・ω・。) それがギョーカイ再興のためになるのかって?(^-^;)
手遅れo(^-^)o
さう、たとへば、伊藤がレファ再興への意欲を燃やした1970年代なら、十二分に役立ったハズなのだが。
伊藤のなかでレファレンス再興への情熱は、司書課程におけるレファレンス演習に転化――ん?(・ω・。) 転嫁か(^-^;)――してしまったといふのが、『大またで歩く』を読んでのわちきの見立て(=゚ω゚=)
惜しい…惜しすぎる…(゜〜゜ )
しかし、もはや鬼籍に入らんとする人の30年以上まへの転向を惜しがるなんて、わちきもとことん酔狂やのぅ(´ω`*)
本人すらその日本図書館史上の意義(といふか意義の失ひ)を意識しとらんだろー(σ・∀・)σ
って、それ以前に日本図書館史にまともな戦後史がないから、レファ再興もへったくれもないか┐( ̄ヘ ̄)┌

*1:書誌はあるけど参考がなくなるということ