書物蔵

古本オモシロガリズム

復刻版の意義が再考さるべきとぞ

こんなん読んだ(。・_・。)ノ

まへまへから日本における「復刻出版」の歴史にキョーミがあったので、それこそキョーミ深く読んだ。

復刻出版物の使はれ方

オモシロかったのは、復刻出版物の使はれ方についての指摘である。

気になることも。例えば、ある復刻本が刊行されたのち、研究者たちがワッと群がって、一斉に食い尽くしてしまふやうな現象が見られる。

たとえば、『変態心理』の復刻版(大空社/不二出版,1998/99)がそうだといふ。
あ、もちろん、この「変態」ちゅーのは「ヘンタイ」や、ましてや「hentai*1」とは全然ちがふ(σ・∀・)σ
話もどすと、復刻版が出るまで学界的には( ゜д゜)ポカーンで、出たら、すごいすごい(゚∀゚)アヒャヒャとて論文を製造するといふパターンがあるのではと。。。
「専門」にこもる人々は、多ジャンル、あるいは他ジャンルにわたる事象や文献をおっかけるやうな、文献探索力が意外と低いといふことかしら。。。
あるいは、日本の後発的な学問ゆえ、未知の文献をさがすといふ力量が不要なのかすら。。。
もしかしてどっちも当てはまる?
まぁ復刻版が日本学問の発展に寄与していることだけは事実なり。
それはともかく、復刻の使われ方、てふお題ハ、オモシロなり(σ・∀・)σ

復刻出版者の生きる途

一方で復刻出版は立ち行かなくなりつつあるとも。

デジタル化の完備がそこに加われば、復刻出版はいよいよ立ち行かなくなる。

あたかもよし、国会のデジデジが新刊の出版社をも脅かすとて『新文化』の記事になってをった(*´д`)ノ
大澤さんは、復刻の途はもはや、主題でまとめたり、記事集成をつくったり、「充実した解説や各種索引を付したり」といった「編集復刻」の途しかないのではないか、と指摘し、『文芸時評大系』73v.(ゆまに書房)を好例として上げる。
たしかに、『文芸時評大系』は大したもので、よくあれだけ集まったなぁということもさりながら、もっとすごいのハ詳細な索引を付けてあるところ。これによって、個々の作品の同時代評がわかるというわけだが、さらにいへば、あれって、〈初出索引のかはり〉に使えるんだよねぇ(σ^〜^)σ 戦前期の初出索引はないわけなんだが、じつハ『文芸時評大系』とゆー記事集成を、レファレンス・ツールとして再解釈することによって、戦前期初出索引が疑似的に出現しちゃふ(σ・∀・)σ
かやうに編集復刻はまだまだ重要なんだよなぁ。。。
1970年代みたいに、「原本を見つけてきては右から左に複写すればよいだけの状況はもうない」。「となれば、〜何のための復刻か。原理的な議論に着手すべき転機にある」といふ。
げに(゜〜゜ )

図書館がダメダメなんだよなぁ(´ヘ`;)

しかし、雑誌の復刻にみんなが群がっちゃふといふ現象は、これは、はばかりながら、日本図書館業界がダメダメだからであるといへやう(テンから図書館になんザ、期待しとらんヨ、しょってるネ、といはれれば、それまでだが)。
単行本の貸借り(貸し出し)ばかりに邁進してきたからねぇ。
近年に至るも一貫して単行本は手厚く、雑誌、新聞はテキトーにやってきた(σ・∀・)σ
実際、日本国内で、雑誌を保存して見せてくれる図書館といへば、次のようなところぐらいしか考えられなでしょ。

国会図書館
大宅壮一文庫
古い大きな大学図書館たち(偏差値が高い大学がおほい)
近代文学館 神奈川文学館
日本の古本屋

ん?(・ω・。) なして「日本の古本屋」が入ってをるのかってか(σ^〜^)
たとへばサ。。。
あちきの見たい雑誌、じつは宮崎県のある公共図書館にあることが判明したんだけれど(所在を見つけること自体、かなり大変なこと)、そこに行って、閲覧して、かへってくるのに2、3日の有給休暇と5,6万円がかかるというコスト。
いやぁ、こんなことでは、とても研究なんてできませんがな。

欠号補充

特に雑誌(まぁひろく逐次刊行物)の復刻で重要なことは、欠号補充の努力がなされること。
雑誌という資料を回顧的に使用する場合、コマルのは各種所蔵機関で欠号が発生してしまふことぢゃ。
なぜに欠号が発生するのか。
これは原理的には簡単なことで、図書館側が欠号に気づくのは大抵、次の号が来たときで、それから欠号請求しても版元に無い場合がある。

わちきがしばらくまへ熱心に見た『出版警察報』なんちゅー書物雑誌o(^-^)oも、所蔵機関は僅少なので復刻版で初号から通しで見られるのは大変にありがたいことであった。これは復刻の版元が熱心に欠号補充したからだ。まぁ、一部、LCとおぼしき資料からのマイクロ複写を原版につかったらしくボケボケの号もあるが、それでもなきには優るぢゃ。

逆の論もあるとぞ(翌日追記)

M先生に、保昌正夫の論に、逆の論があるとぞ聞く。
保昌によれば、雑誌の一括復刻が出ることによって、むしろそれを使った研究が停滞してしまふといふ(文献みしょう、つぎのあたりか??? 文章倶楽部総目次・執筆者索引 / 保昌正夫編・解説, 日本近代文学館 , 八木書店 (発売) 1995.3)
愚考するに、最初から気づいているコアな研究者と、復刻がでることによってその存在を知るフォロー的な研究者の差ではないかと。。。

水曜追記

Mさんにこのようにおそはる。

32 ページ

復刻版が出ると、その雑誌についての検討が止まってしまう気味があるが、そんなことではどうかと思う。さきごろ論究の会編『中村光夫研究』(七月堂)で中山和子氏の「中村光夫プロレタリア文学」を見ていたら『文芸通信』が出てきて、見る人ぞ見る、と思った。

さすがぢゃ(゚∀゚ )アヒャ 

*1:しかしこの英語?が普及したのにはびっくり。