書物蔵

古本オモシロガリズム

展示替えになった古書目録の展示を見た

旧イルムス館の古本市でなんも拾えんまま帰る途中、ふと、

さうぢゃ、千代田図書館の古書目の展示、新しいのに入れ替わっとるんでは(σ・∀・)σ

とて、ちっくら覗いてみた。

おお、上野文庫が(*ω*;)´´

かわじさんは古書目の情報から各種レファ本を開発した人(@_@;)スゴイ

なんとかわじさんは、上野文庫の古書目についてのパネルΣ(゚◇゚;)
いやサ実際、上野文庫さんの古書目はスゴイものなんだけど、たしか千代田の反町弘文荘コレクションにはなかったハズと思ふたら、かわじさんの個人蔵のものが展示されてゐた。
上野文庫については、じつはわちきの書誌がイチバン詳しいはず。参照めされよ〜
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20120825/p1

「大年表」にレア資料復刻が付くとぞ

お次はこの本の編集担当の人。

この本、いま調べたらまだ千代田図書館にしか入ってないやう。しかるになぜだかわちき、持ってをって――犠牲的大出血ぢゃ――それを見ると、3巻目にめづらかなる古本業界誌が復刻されてゐるのぢゃが、そんなかの、『書物誌』なるものを出した山屋書店についての概説。
この山屋書店、この『書物誌』なる書物雑誌を出したり、『古書集覧』なる古本年鑑を出したり、こりゃまた、もう一つの古書通信社ぢゃないの(σ・∀・) それにゾッキ本の卸をしてたなんて、ますます八木さんとこにクリソツ(゚∀゚ )アヒャ 
わちきがかつて追いかけた古典社(沼津)、そしてこの古書集覧発行所こと山屋書店、そして「大年表」3巻に日本に唯一残ってた『東京古書市場通信』など、古書通信社のやうなものは昭和9年ごろ、4社もあったちゅーワケだぁね。
ってか、これこのやうに、資料が出てきたから結果としてそれが今、わかっただけなんだけどね(* ̄ー ̄)> だって、八木敏夫さんだって反町弘文荘だって、回想録で抽象的にしか語ってないから、よーわからんかったのよ(´・ω・)ノ
数年前、八木福次郎さんが亡くなった時――いや実際、数年まへまで古書会館へいくとフツーにそこいらへんを散歩する福次郎さんが見られた――内堀さんが、昭和前期の書物雑誌の隆盛と関連させて追悼していたけれど、人間が生まれて数年間のことを我が事として語れないように、実は雑誌も生まれた経緯というのは実は自分――自誌?――では語れない。古書通信出生の秘密は、これら古書目録を含めた書物雑誌群のなかで語られることにならん。
あたかもよし、佐藤卓己先生はやはり同時期の書物雑誌『図書』について研究をすすめておらるるとか。今度、金沢文圃閣から復刻されるといふ『図書週報』を含め、書物雑誌の歴史の資料や研究が整備されつつあるのではないかと愚考する次第ぢゃ∩(・ω・)∩ばんじゃーい

ほかにも

岡崎武志(ライター・書評家)氏は『風船舎古書目録』を紹介。音楽関係のすごい古書目。この風船舎、もともと阿佐ヶ谷で店舗を持ってたらしいんだけど、書目をつかった専門店になったんださうな。
八木正自古書店安土堂書店店主)氏は「文車の会」などの、重厚な内外古典籍の販売の話を。特に反町弘文荘の「たいか古書目」が古典籍の販売記録として参照されることなど。
でもいちばんオモシロだったのは。

古書目録愛好のミニコミ

びっくりしたのは、かの爆裂レアな「古書目録についてのファンジン」だった『モクローくん通信』完揃いがファイルされてあって、自由にコピーしてよいと表示されていたこと。
わちきはいつぞや古書ほうろうにて販売された時に買ってもってをるが、展示中にここに来れば、欠号補充ができるといふわけだぁね。

展示についてさすが千代田→館内撮影可

日本ぢゃあ未だ意味不明のまま撮影禁止のところがほとんどなんだけど、さすが図書館経営の最先端をいったここ千代田では、ちゃんと、これこれの条件でどうぞ撮影してください、と明示されとる。感心した。

追記

パネルの中身は小冊子になって出ると先週の座談会の最後に千代田の人が言ってたといふ。これは楽しみぢゃ。オタどんに言ふのぢゃヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ