書物蔵

古本オモシロガリズム

新聞切抜きの歴史

昭和13年の新聞にこんな記事が。

  • 「新聞記事の切抜き通信社:一件五十銭から二円」『読売新聞』1938.9.13朝刊p.5

東京切抜通信社というのが京橋区木挽町5-1-9にあって、ストックしてある過去の新聞から、ほしい記事を捜して送ってくれるとある。
過去6カ月以内は1件50銭、1年以内1円、2年以内3円とか。

大体の掲載月日と欲しい記事の内容を伝へることが必要

とあるので、一見、新しい未知情報を教えてくれるようでありながら、結局は「既知文献」の遡及的探索でしかないが。
んでもさかのぼるとこんな記事も。

  • 「[広告]必用な新聞記事切り抜きます」『読売新聞』1890(M23).7.1 朝刊p.4

京橋区弥佐衛門町15番地にある「日本諸新聞切抜通信舎」が広告を出している。
会社ができたのは同年2月。欧米の「ぷれす・かっちんぐの法」に倣ったと。ただ最初は「朝起暮倒会」とまちがえられ、冷笑されたとか。
それで半年まえの新聞をみると、「日本諸新聞切抜通信舎主旨」が同年2.24のp.4に載っていた。オモシロいのは、情報探索ニーズだけをサービスの主眼としていないこと。

相見ずして其人の賢愚を知り平生の行為を探聞するハ新聞紙に若くハなし

としつつも、逆に、自分のことが載ってしまい、それに気付かずにいたら

為に一身に被る処の損害を生ぜんも測るべからず

と。
ははーん。これはオモシロい。讒謗律とか、新聞紙条例にあった訂正権とかのからみですな。まあ、当時、総会屋雑誌、暴露雑誌のかはりに機能していたのが新聞紙であってみれば、最初のニーズは、自分の事が悪くかかれていることをチェックするというニーズがあったということになる。