書物蔵

古本オモシロガリズム

検閲納本の行方

昭和60年代にある国会図書館員に向かって児童文学者が、自分はたしかに検閲のために納本した、どっかに残っているはずだと言ったことから、実は国会に雑誌がまるまる残っていないという研究が始まったというのは、こりゃあ拙ブログの読者なら誰でも知っていやう。
んぢゃあ網羅的に集まっていた検閲納本はいったいドコいっちゃったのドコ?(゚o゚ ))(( ゚o゚)ドコ?
っちゅーのが自然にわきあがってくるワケであるが。。。
大切なのは戦前の納本は複数部であるという点。あと、時期の問題もある。実は昭和10年前後の時点での実態を探るのがイチバン得。理由は出版産業が戦前、いちばん栄えた時期であるからでもあるし、比較的資料に恵まれているからでもある。
さてその頃、単行本は2部、内務省へ送られ、正本の発禁本は内務省に留め置き、残りの正本は東京市立へ委託、副本は帝国図書館へ交付ということになっていたが、今回わかったのは新聞紙・雑誌の一部ね。
新聞紙法に依拠して発行された新聞紙・雑誌は5部納本することになっていた。2部を内務省に、1部を県(の警察部)に、1部を地方裁判所検事局に、そして1部を区裁判所検事局に。
このうち警察に納本していた分がどーなっていたをうかがう記述を発見ぢゃ。
『昭和十年十二月十三日 出版警察執務心得』という印刷物が国立公文書館に残されている。これは各県警で定めた出版警察の事務マニュアル。
その37条にこんな記述がある

警察署に於て検閲上入手したる新聞紙はなるべく左の期間保存すべし
 管轄内に於ける代表的なるもの 五年
 其の他有保証のもの 三年
 無保証のもの 一年
(カナをかなにした)

まあ「警察署」というのがチトひっかかるのだが、ここに出てくる「検閲上入手したる新聞紙」が新聞紙法にさだめる県警への納本であるとすると、県の警察部への1部が警察署に回付されていたということになるような気がする。
んー、でもちがうかなぁ。ちがうような気がしてきた。。。

追記(2012.12.30)

やはり県の警察部への納本と警察署への納本は別であると思う。
これは法定外のことだったんだろーけど、どうやら警察署が管内に新聞社、雑誌出版社をかかえいた場合、納本をさせていたらしい。
これは従来の出版史研究では指摘されていなかったことで。。。